解消を学ぶ 【読書】種を蒔く人になりなさい (Forest Books) | 樋野 興夫 を読んで

 

樋野先生は「解決はできなくても解消はできる」というゲーテの言葉を紹介し、次のように書いておられました。

“がんでも他の病気でも完治しない限り、問題が解決することはありません。しかし、気持ちの持ち方次第で、「解決」することはできなくても、「解消」することは可能です。解消とは、問題はなくなっていないけれど、悩みを問わなくなることです。病気の優先順位を引き下げてしまうのです。”

 聖書の中で「解決はできなくても解消はできる」ことを語っているのはヨブ記です。ヨブ記は原因不明の大不幸に見舞われ、病にも苦しめられているヨブが出てきます。またヨブの知恵ある友人たちと新進気鋭の若者が出てきます。彼らはみな、なぜヨブが不幸にあっているのか、今も病に苦しみ続けているのかを注目しつづけました。知恵ある友人たちは、「潔白な者が神のさばきに遭うのを見たことがない」と経験則を語り、ヨブを責めました。ヨブは「神が計り知れない大いなることをしていて、この不幸を私に与えている」と訴えました。若者は「神に訴える姿勢が、神の罰を招いている」と言いました。全員が不幸の原因を探すことに最大の優先順位を置いていました。ところが主が選ばれたのは「沈黙」でした。ヨブ記の読者だけが不幸の原因を知っています。ヨブも、知恵ある友人も、若者も、神が不幸を下したと思っていました。そうではなかったのに。しかし主は最後まで不幸の原因について一言もおっしゃいませんでした。ヨブにとって沈黙が一番のことばだったのです。知り得ないことでヨブを裁いた友人たちは主の怒りを受けました。

 ヨブ記38:1-4《【主】は嵐の中からヨブに答えられた。知識もなしに言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。分かっているなら、告げてみよ。》病気の優先順位を引き下げ、「解消」を学ぶことは私たちの人生にとって大切なことです。「解消」は聖書の主との関係にあります。

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