正体を突き詰める 【読書】種を蒔く人になりなさい (Forest Books) | 樋野 興夫 を読んで

 

樋野先生は「がんになる覚悟で生きる」の一節で、がん細胞に対する見方がある時に変わったことを思い返して、次のように書いています。

“正常細胞は「飢餓」に弱く、他の場所に移れば生きられない細胞です。一方のがん細胞はどこでも生きていけますし、生き抜くために移動し、栄養を補給するためには血管を新たに作り、免疫細胞を手なづけ、抗がん剤をはねのけ包み込む力さえ持っており、何とも手ごわい相手です。… 私は、がん細胞を単純に悪者として見るのではなく、「一体何者だ」とその正体を突き詰めるために、病理学者になったと言ってもいいかもしれません。”

 聖書には主に従う道と主に従わない道について書いてありますが、樋野先生のお話に似たところがあると思います。主に従わない道を無視しようとせず、それが一体何者かとその正体を突き詰めているのです。古代イスラエル民族は神である主をおそれず、自分勝手に歩んだ結果、バビロンに滅ぼされてしまいました。その悲痛を詠んだ歌が旧約聖書の哀歌です。哀歌1:20《【主】よ、ご覧ください。私は苦しみの中にあり、はらわたはかき回され、私の心は私のうちで打ちのめされています。私が逆らい続けたからです。》哀歌はエルサレムを擬人化し、泣きながら夜を過ごす様子を描いています。エルサレムは驚くほど落ちぶれて、神殿は荒らされ、王は連れて行かれてしまいました。人々は食べ物を探し歩き、重んじられていた祭司や長老は息絶え、幼子が街頭の至るところで衰えきっていました。自分の子を食べる人さえいたのです。主に従わない道の末路は悲惨です。罪の結果があります。主はこの惨状を見て《ああ、私の頭が水であり、私の目が涙の泉であったなら、娘である私の民の殺された者たちのために昼も夜も、泣こうものを。(エレミヤ9:1)》と枯れるほど泣いておられました。

 主は罪を人の存在ともども消し去ることがおできになるお方です。しかし、主に従わない私たちに付き合い、私に帰ってきなさいと語り続けておられます。ついには罪を取り去り、私たちを新しい天と地に残してくださるためです。あなたを決して諦めない。ここに神の愛があります。

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