2021.5.30主日礼拝 「神のかたちを置かれた」創世記2章4節~9節

 
晴天に恵まれ汗ばむような日差しの朝、5月最後の礼拝式は、昇天日礼拝、ペンテコステ礼拝を終えて、久しぶりに通常の礼拝となりました。
 
今朝も再度「教会は会社ではありません。」と、中尾牧師は王寺教会での最初の説教に続いて話されました。 私達は普段、効率的な働き、富を蓄える、勝ち組に入る、競争に生き残ると言った世の中で生活をしており、さらに近年はSNSを通しての情報収集により価値観も多様化してきました。いま、私達が求めるべき価値観は、神の国と神の義であることを改めて、強く心に留めるべきだと感じました。
 
今朝は創世記2章からのメッセージです。「神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちに息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。」(創世記2:7) 神である主は、東の方のエデンに園を設け、そこにご自分が形造った人を置かれた。」(創世記2:8) 世界は神である主が王として住まわれる場所として創造された非常に良いところです。そのなかで最も良い場所に主と共に生きるものとして愛を込めて人を形造られ、そこに置かれました。私達は神様によって土のちりから造られ、鼻から命を吹き込まれ、神様のところに置いて頂いていることを忘れてはいないでしょうか? 私はその一人です。
 
ひとつ何かをやり遂げた時、私達は自分の力でやり遂げたなどと錯覚して神様に依るものだということを忘れていないでしょうか?そのような罪の繰り返しを重ねる私達の内に主は手を差しのべてくださり、神の国と神の義の群れに回復しようとして下さるのです。
 
すべてを創造し治めて下さっている全能の神様の前に土のちりでしかないということを覚えて求める者とさせてくださいと祈らずにはおれません。(Okumoto)  

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