そっと見守る主のまなざし 【読書】種を蒔く人になりなさい (Forest Books) | 樋野 興夫 を読んで

 



医学博士樋野興夫さんの「種を蒔く人になりなさい」をみなさまとともに読んでいきたいと思います。
 「お節介ではなく、静かにきちんと見守ってくれたお年寄りたち」の一節で、樋野先生は故郷での出来事を回想しています。「海辺で遊んでいると20-30メートル離れたところで夕涼みをしているお年寄りが見ていることに気づいた。波にさらわれたり危ない目にあったりしないように、そっと見守ってくれていて、安心感があった。反対にいたずらや悪さをした時には本気で怒られた。」と言い、次のように節を締めくくっています。
 “病理学者としてがん細胞を専門的に研究してきたことも、がん哲学外来を立ち上げ、多くの人の悩みや不安と向き合うようになったことも、鵜峠村のお年寄りたちのやさしい眼差しが原点になっている気がします。あたたかい他人がそっと心配してくれている安心感と安らぎ。「これが人生だ」と思いました。ですから私は、鵜峠に生まれたことに感謝しているのです。”
 聖書で示されている主も、あたたかい眼差しを持っておられるお方です。夕涼みしていたお年寄りのように、静かにきちんと見守ってくださっています。ともすると厳しいイメージを持ちやすいのですが、何故かというと、聖書で出てくるのはイスラエル(子)が主に本気で怒られている場面であることが多いからです。静かに見守ってくださっている時は、本当に静かなので、聖書を読んでいても気が付いていないのです。
 エレミヤ23:23-24《わたしは近くにいれば、神なのか。──【主】のことば──遠くにいれば、神ではないのか。人が隠れ場に身を隠したら、わたしはその人を見ることができないのか。──【主】のことば──天にも地にも、わたしは満ちているではないか。──【主】のことば。》
 イスラエルが国の中でえこひいきをし、弱い人を虐げていた時、主は本気で怒られました。その反対は?あたたかい主がそっと心配してくれている。そっと見守る主の眼差しあるということです。

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