2021.8.1平和のために祈る礼拝「豊かな平和」詩篇72篇

 
王寺教会では、8月の第一聖日は「平和のための礼拝 」が恒例になっています。今年は趣向を変えて、まず「テゼの賛美」を用いて祈り(歌い)ました。フランスで第一次世界大戦の時、難民を保護するためにブラザー・ロジェがフランスの小さな町、テゼにコミニュテイをたてあげ、テゼ共同体と呼ばれ、家を失い食べるものにも困っている人々を助けたそうです。以降の修道院の働きにも似て、教派を越える和解の印となったそうです。その賛美に合わせて祈りの言葉を唱えます(唄います)。輪唱のようなサウンドの中で目を閉じて歌えば、中世に建てられた教会堂の中で多くの人々に囲まれて礼拝しているような気持ちになる不思議な体験でした。
 
人はどうしてしいたげと暴力に向かうのか、好戦的なのか。最初の人アダムの息子カインは殺人を犯し、その悪の系譜はずーっと続いていきます。神様は嘆いて、忍耐に、忍耐をされます。ユダヤが王国となることも神様は賛成されなかったが人々は聞かなかった。そして立てられた王たちはほとんどが神様に逆らってきた。ついに神様はユダヤ民族の王国を滅ぼすという困難の中を通されました。
 
なぜクリスチャンは好戦的と言われるのか?それは、人々が神様のお言葉に従わないで暴虐を好んだからです。神様は、聖書を通して一貫して、神様を愛し自分を愛するように隣人を愛することが一番大事な教えだと言われているのです。私たちの国も75年以上前になりましたが、戦争を起こすという大きな過ちを犯しました。深い反省とともにもう二度と戦争を起こして、神様を悲しませ、人々に不幸におとしいれることをしてはならないという気持ちを新たにします。神様は私たちにどちらを選ぶのか、いつも選ぶ自由を与えてくださるのです。日常生活の中でも平和の道を選ぶのか、どうなのか…。(Rebecca)
 

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