2021.7.25 主日礼拝「暴虐への道、再び」創世記9章20節〜29節

 
今朝は、礼拝後、コロナ禍の環境のため何か月も開けなかった例会を持ちます。牧師にとっても着任以来 初めての開催となります。先ず、「私たちの教会はコミュニティーである。礼拝終了後、教会員である兄弟姉妹、 そうでない方々も集まって、例会という名のもとに交流し、楽しい時間を共有することによって、自分自身を見つめる事が出来る。又、自分の不備を示される。そんな時間を持つことは、とても素晴らしい事」「例会は、礼拝の付け足しではありません」とも話されました。こんなお話の中から、これから持たれる例会のあり方や、参加する心など学びました。
 
続く、創世記9章20節〜29節の内容についてのメッセージは、私には少しわかりづらいところがありました。 神への不従順な生活がずっと続き、人々の行い、態度、家族関係の種々の破綻についても話され、主に求めず、 暴虐に満ちた勝手な行動に走った人々に、忍耐強く見ていてくださった神様もストップをかけられました。言語も違うものにされました。このままでは、どんどん苦しめられていくであろう人々を思い、ストップをかけられたのです。歴史のはるかかなたの創世記の時代に、神様は私達の為に、配慮してくださったことを知りました。
 
私達、人生には、予期せぬことが起こります。あなたにも、私にも。でも神様は私達を心から祝福してくださり、正しい道を示して下さることを信じて歩もうと思っています。(KIZAKI)
 
教会前のひまわり。「ひまわりを見ますと、元気が出ますねっ」と牧師先生。

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