2021.8.22主日礼拝「計画を知らされている」創世記18章9~21節

 
今朝の礼拝のメッセージは、初めに日本の終戦日に触れてお話をされました。1週間前の聖日がその終戦記念日でした。
 
現在の環境、コロナ禍の日本の社会が、皆が気づかぬ内に悪い方向に流れ始めていないか気にかけていこう、我々クリスチャンは、いつも公正な考え方、態度等しっかりと持ち続けたい、というお話でした。
 
本題に移り、特に私の心に響いたのは、創世記18章、19章でした。この章は神様のご計画について、記されている大切な箇所であり、人間には計り知ることのできない神様の計画の大きさについて語られました。 そして、私たちは、とかく、自分を始点として見渡せる範囲の事しか考えていないので、神様のご計画を見落としているかもしれない、狭い部分でしか見ていないのではないかと反省の気持ちを持ちました。
 
又、洗礼についても語られ、神様のご計画の下で、その人は神様に招かれているという事、そしてイエス様も「私についてきなさい」と言っておられるのです。洗礼は、ただ、クリスチャンとしてのけじめをつける事ではないのですね。バプテスマ(洗礼)を授けてもらうとアブラハムの子孫に加わる事になります。そして、神様のご計画の中の一員として、神の道を守り正義と公正を行い、その子孫までも祝福を受けるようになるためと理解しました。しかしユダヤ民族に見るように、そのことはなかなか上手くいかず、神様は長い間忍耐し続けておられることも知りました。
 
これからも続けてメッセージの中から私たちのなすべき「正義と公正」について学びたいと思っています。(kizaki)
 

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