2021.8.15 主日礼拝「教会のアイデンティティ」へブル人への手紙11章8~19節

 
停滞する前線の影響を受け、記録的な豪雨に甚大な被害が出ています。被災地に、これ以上の被害が起きないように、また被災された方々が無事でありますように祈るばかりです。 お盆の時節ですが、今年はコロナ禍で変則的な家族の再会をされていたのではないでしょうか。聖日の朝、私達も神様の家族として教会に集っています。十字架の贖いを共に感謝し、復活の希望をともに喜び、待ち望むためです。
 
今朝は、先週に続きアブラハムの生涯について話されました。アブラハムは神様から 「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。」 と言われ、相続地として受け取るべき土地を求めて家族と共にカナンについて行きました。しかし、そこで待っていたのは、約束とは異なる厳しい現実で、生涯手にしたのは購入した墓地のみでした。でもアブラハムは、その地から決して離れることをせず、留まり続け希望を手に眠りにつきました。  
 
どうしてそんなに落ち着いていられたのでしょう? アブラハムは、すべて良いものを用意して下さる神様が共にいて下さることをよく知っていて、その神様を信じ従う信仰があったからです。
 
また、聖書は「人は荒野を通ってから約束のものを手にする。」と示しています。その後、アブラハムの子孫イスラエルは星の数ほど増え、一つの民族となりダビデ王国を建て、それぞれが土地を与えられ日々の糧を得られるようになったのです。これはアブラハムが荒野を通ったから子孫に祝福があったということではありません。神様はいつの時も私たちに一番良いものを用意して下さっているのです。私達が試練の時、先が見えず不安の中で通るのか、神様が一番良いものを用意して下さっていることを信じて通るのか、どちらかを選択することだと思います。  
 
「あなたは祝福となりなさい。」と呼び掛けて下さった神様を信じて歩むことを選んだ今、私は神様に家族の一人としていただきました。毎聖日、教会に来て神の家族に会うことが出来て幸せで感謝です。(Okumoto)

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