クリスマスおめでとうございます!グロリアエコーによる素敵なクリスマス賛美ありがとうございました。私たちひとひとりのところに神様が降りてきてくださったことを心から感謝してこのクリスマスを過ごしたいと思います。(megu)
礼拝説教 中尾敬一牧師
クリスマスおめでとうございます。救い主は私たちのところに来られました。今は目に見えませんが、確かに私たちと共におられ、私たちの語りかける言葉を聞き、御言葉によって私たちに語り、私たちの人生に介入してくださるお方です。私たちはこのお方を知っているので、人々に証しています。主は生きておられると。
クリスマスの夜。私たちを戸惑わせるほどの恵みの知らせが、天から告げられました。星を見た東方の博士たちが、天使の讃美を聞いた羊飼いたちが、イエス様のみもとにやってきました。今日、みなさんも様々な理由でここに来られたことでしょう。今度は、みなさんがイエス様のみもとに進み出る番です。
恐れることはありません。みなさまは神様から恵みを受けたのです。この朝、みさなま全員に与えられる大きな喜びをお知らせいたします。
聖書をお開きください。ヨハネの福音書1:1-18(175ページ)【聖書朗読】
今年は11月30日にアドベントに入りまして、これまで3回のアドベント礼拝を共に過ごしてまいりました。マリアとヨセフにイエス様が来てくださった出来事。星を見た東方の博士たちがやってきた出来事。天使の讃美を聞いた羊飼いたちがイエス様を捜し当てた出来事を順番に読んできました。それらは、多くの教会で、飾りとしてその様子が描かれたり、聖誕劇として演じられたり、朗読されたり、紙芝居で読み聞かせられたりしています。クリスマスシーズンには何度も繰り返して、何が起こったかを知らされていますので、もうそろそろ耳にタコが出来始めた頃かもしれません。
もちろん神の御子イエス様の御降誕の出来事を忘れずに語り告げることは大切なことです。クリスチャンはそのことを大切に守り続けています。ただ、それと同時に、イエス様が降誕されたとは、一体どういう意味があるのか、みなさまにとってどういう意味で神の恵みと言えるのか、大いなる喜びの知らせなのか、これも大切なことです。
ヨハネの福音書の冒頭には、クリスマスの意味が記されています。「初めにことばがあった」ことばとは、イエス・キリストのことです。世の中にはイエス・キリストを架空の人物だと思っている人がいるそうで、びっくりしたことがあります。ナザレのイエスは、聖書だけでなく、その他のキリスト教徒ではない人々が書いた歴史書にも登場する人物です。当時、ナザレのイエスを実際に見た人たちがイエスについて書いた文章がちゃんと発掘されています。架空の人物ではありません。しかしながら、歴史上の人物であると知っている人たちでも、多くの人がイエス・キリストはキリスト教を広めた教祖であり、信仰の対象とされている人物に過ぎないと考えています。この福音書が書かれた時代にも、同じように考えていた人が沢山いたのです。それでヨハネはイエス・キリストがどなたであるのか、はっきりと記しました。聖書の一番初めのページにこのように書いてあります。《はじめに神が天と地を創造された。(創1:1)》ヨハネはこのことを言っているのです。イエス様は「天地を創造された三位一体の神である主、その御方である」と。
この方にはいのちがありました。世の人々は、神にはいのちはないと思っています。それは信仰深い人々の心の願いの結晶であって、生きているものではなく、心の拠り所として、人間が見つけ出した方法だと思っています。神が本当に生きていると信じている人は洗脳されて狂っていると考えています。それでも社会的に害がなく、本人が平安に人生を過ごせるなら、いいんじゃないと思っています。あらゆる宗教は実際にそうでしょう。神々にはいのちはない。しかし、ヨハネは実際にイエス様と出会って、知ったのです。この方にはいのちがあった。
《すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。》これはクリスマスのことです。天地の造り主であり、私たちの造り主であり、初めからおられたお方、まことの光が、世に来られました。それで私たちはクリスマスをイエス様の誕生と呼ぶのではなく、イエス様の降誕と呼ぶのです。しかし、ユダヤ人ではなかった東方の博士たちはイエス様を知りませんでした。日本に住む私たちもそうです。神々にはいのちはないと考え、生きておられる神を知りませんでした。また旧約聖書によって知っていたはずのユダヤ人たちも、ヘロデ王がイエス様を殺そうとしたように、このお方を受け入れませんでした。神である主が来てくださることを待っていなかったのです。彼らの願いは、ただ自分自身の苦しみが無くなることでした。キリストが本当に来てしまったら、ヘロデ王が激怒して、苦しみが増えてしまうと恐れていたのです。
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々がいました。クリスマスの出来事の重要なポイントです。マリアとヨセフは、聖霊によって処女に宿ったイエス様を受け入れました。彼らにとって、非常に困惑する出来事でした。それを受け入れたら自分の人生が大きく変わってしまう出来事でした。しかし、彼らは主を信じました。東方の博士たちは旧約聖書を知りませんでした。預言を知らなかったけれども、神様が見せてくださった星を頼りにやってきて、イエス様を礼拝しました。羊飼いたちは、虐げられ、見下されている人々でしたが、天使の伝えた知らせを聞いて、赤ん坊のイエス様がキリストであると受け入れ、神をあがめ、賛美しながら帰っていきました。彼らもイエス様を信じたのです。
キリスト教では「信じなさい」とよく言われます。信じるって何ですか。イエス・キリストが架空の人物ではないと思うことですか? いいえ、そんなことではありません。「キリスト教の信仰箇条を本当だと思うことにしました」ということではありません。みなさんもよく言うではありませんか。「あの人はいい人だよ。あの人の言うことは嘘じゃない。その人の言う通りにやったら間違いないよ。」これが信じるです。(人間を信じるというのは、ちょっと心配になることもあるわけですが) イエス・キリストを信じるとは、イエス様に全幅の信頼を寄せるということです。イエス様の言われることには嘘はない。間違いはない。イエス様の言われた通りに行おう。イエス様に従って人生を歩もう。イエス様は死をも越えて私たちを導いてくださるのだ。そのように期待を寄せ、信頼し、後をついていくことです。それはとても私たちを困惑させる出来事になるでしょう。私たちの人生が大きく変わってしまうことになるからです。《しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。》と聖書に書いてあります。信じてついていったら、神の子どもとなれた。イエス様の御名の他に、この特権に値する名は世にありません。だた主イエス・キリストの御名だけです。
主イエス様があなたのところに来られました。信じることができるお方として来てくださいました。信じれば、神の子どもとなる特権が与えられるというお方が、今日あなたのところに降りてこられたのです。主イエス・キリストこそ、私たちの大きな喜び、神の恵みです。
ヨハネの手紙第一4:9-10(483ページ)には、このように記されています。《神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。》イエス様が来てくださって、信じるものに永遠のいのちが与えられるのです。それは神である主が私たちを愛しておられるしるしです。私たちは神様に見捨てられていなかったということなのです。
私たちが神を愛したのではありませんでした。私たちが人生の経験によって学ぶことは、敬意と礼儀を尽くした人には引き立ててもらえるけれども、無視したり、軽く見た人からは贔屓にしてもらうことは望めないということです。天地を創造された主をあがめ、礼拝しつつ歩んできた人はいたでしょうか。そんなこと、どうして大事だろうかと思って歩んできたのではないでしょうか。どうして神様から愛されることを望めるのでしょう。ところが、神様は私たちを愛し、御子を遣わされました。多くの人がイエス様を受け入れず、最終的に殺してしまうことになるとご存知だったのに、あなたを愛しておられるゆえに、御子を遣わされたのです。
主イエス様を信じる人には希望があります。実際この世界はもう希望がありません。人は自分たちの知恵を振り絞って、色々とやってきました。私たちも自分の人生のために、色々と努力してきました。でも、一瞬のことですべてが台無しになってしまう世界に私たちは住んでいます。作っては壊れ、作っては壊れ。すべてのことが空しく、希望がないのです。しかし、主イエス様には希望があります。イエス様の知恵は人間の知恵ではありません。すべてをご存知でおられる神の知恵です。イエス様を信じて従って進むなら、絶対に間違いはありません。天に昇っていかれましたので目には見えませんが、イエス様が何を言っておられるか聖書を読めば分かります。御言葉に導かれる主に従うなら、主が生きておられ、私たちと共にいてくださることを知るでしょう。多くのクリスチャンがその通りだと証をしています。
この後、キャンドルサービスをします。ロウソクの火が渡されていきます。あなたのところにイエス様が来られたことを象徴する灯火です。ひとりひとりのところに、今日、イエス様は来てくださいました。ですから、あなたも神様の愛を受け取りませんか。イエス様を信じて、希望に満ちた歩みをはじめませんか。神の愛と希望は、主イエス・キリストにあります。
お祈りします《この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。》
天の父なる神様。あなたの名を呼び求めなかった国民に向かって「わたしはここだ、わたしはここだ」と言われたお方。自分の考えのまま、良くない道を歩む者たちに、手を差し伸べたお方。私たちの主よ。
クリスマスの出来事の意味を、聖書を通して教えてくださりありがとうございます。あなたは恵みとまことに満ちておられました。ヨハネはあなたと数年を共にして、そのことを知ったのです。イエス様。どうか私たちを信じない者ではなく、信じる者としてください。あなたを礼拝し、あなたの愛と希望を、今日、受け取ります。私たちのところに来てくださったイエス様。あなたは私たちの神です。
主イエス様のみ名によってお祈りいたします。アーメン。




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