2023.1.22 主日礼拝「傷つけていることに気付かない」ヨハネの福音書20章24~29

 

一年で一番寒い季節に入ってきました。特に十年に一度の寒波が来ると、全国に警戒のニュースが流れています。教会の中にはいつもお花が飾られ、今日はかわいい綿の花に目が止まりました。この辺りは昔から紡績が盛んで綿畑がたくさんあったようです。
イエス様がこのような花を道端で見つけられたら、どう反応されるでしょうかなど考えてしまいます。メッセージは復活されたイエス様と弟子たちの間のお話ですが、特に第4週の礼拝の今日は信仰を持っていない方々向けの礼拝で、インターネットのAIの最近の話題とか出てきてとても興味深く聞きました。(Re)

[礼拝説教] 中尾敬一牧師

おはようございます。今日もようこそ礼拝式にお越しくださいました。共に主のみ前で感謝と喜びの時をもてますこと幸いです。

 1月第4週目の最初の日の朝です。今年から第4聖日はクリスチャンではない方、あるいは親戚・家族がクリスチャンだとか、キリスト教系の学校や職場に関係していたなどで、あなたの宗教は何ですかと聞かれた時にクリスチャンと答えるけれども、実はイエス様が誰かよく知らない、あなたに何を語っているのか、何をして欲しいと招いておられるのか知らないという方に向けたお話をしたいと思っています。
 最近、インターネットで色々な人のコメントを見ていると、聖書を読んでいる人、自分はクリスチャンだと公言する人が多いなと感じます。私は1985年生まれですが、デジタルネイティブと呼ばれ始めた世代です。家にテレビはありませんし、新聞も取っていないし、ニュースはもっぱらインターネットで見ています。インターネットでは記事を読んだ人たちがコメントを寄せるということがあり、ニュースの情報とそれを見ている人の反応を見ることができます。NHKの2020年の調査によると一日のうちでテレビを見る人と見ない人の割合は30代で半々、年齢層が下がっていくと見ない人の割合が70~80%になっていました。情報が違うと見える世界が違いますので、おそらくここに集まっている皆様の世界とは違う世界がそこに広がっているのだろうと思います。実際、ネット上で割合の多い若年層が聖書やキリスト教の話をしているのを見かける感覚と、教会堂の礼拝式で若年層をあまり見かけない感覚にズレがあるなと思っています。
 主イエス様が宣べ伝えられた神の国の福音(永遠のいのちの福音)は、宗教のことではありません。復活されたイエス様とあなたが出会い、聖書からその声を聞いて、主に従って歩むことです。そこに洗礼や、イエス様の作られた教会といったことが繋がっています。もし主を知らないで聖書を読んでいたり、なんとなく讃美歌とかお祈りとか良いなと思ってクリスチャンをしているなら、行き着く先はユダヤ教です。新約聖書に出てくるパリサイ人やサドカイ人、エッセネ派、熱心党、ヘロデ党などなど、彼らと同じようなところに向かっていくことになります。イエス様はパリサイ派に対して、あなたたちが尊敬しているダビデ王は聖書をあなたたちのようには読みませんでしたとおっしゃいました。ダビデは主を知っていましたが、パリサイ人たちは主を知らなかったのです。
 目には見えないけれども、あなたの目の前におられる主イエス様を知っていただきたい。それが聖書の存在理由であり、私の思いです。
 聖書を一箇所朗読します。ヨハネの福音書20:24-29【聖書朗読】
 
 先ほどデジタルネイティブ世代について話しましたが、昨年インターネット上で一般の人々にも使える革新的な技術が登場しました。それはAI技術です。まず出てきたのが絵を書いてくれるAIでした。文章を入力するだけで人工知能が自動的に指示通りの絵を描いてくれるのです。またChatGPTというAIが11月に登場し、世界中の人々が驚いています。私たちが誰かとラインでチャットするのと同じ感覚で質問を送ると、その答えをインターネット上の膨大な情報から集めてきて、自然な文章で答えてくれます。
 面白いので私も質問を投げてみました。こんな質問です。「もし将来人類が滅亡するとしたら、どんな原因があるでしょうか。」するとこのような答えが返ってきました。
1.核戦争:核兵器を使用した戦争が起きれば、大量の死者が出るだけでなく、地球環境にも大きな被害をもたらします。2.大規模な天災:地震や火山噴火、ハリケーンなどの大規模な天災は、人類にとって致命的な被害をもたらす可能性があります。3.エイリアンの侵略:宇宙からの異星人の侵略があった場合、人類は弱い立場にあります。4.感染症の大流行:新型コロナウイルスのような大規模な感染症の大流行は、人類にとって致命的な被害をもたらす可能性があります。5.AIによる人類の支配:人工知能が人間を超えた能力を持つようになった場合、人類が支配される可能性があります。6.環境破壊。7.資源不足。8.食糧不足。9.社会不安。10.宇宙からの影響。
面白いですね。インターネット上の情報からということですから、このようなことを考えている人が世界にいるいうことです。私たちも色々な考えがあるにしろ、何となく人類が滅亡することも有り得なくはないと思っているでしょう。しかし、このAIは聖書を調べてはいないようです。
 聖書によると、この世界は核戦争や大規模災害、感染症、宇宙線や隕石によって終わるのではありません。終わりの前にしるしとして、戦争や災害などが起こるとは書いてありますが、私たちが予想できる出来事で終わるのではないのです。世界は主が創造された時に始まりました。それと同じように、主がここまでとおっしゃるところで終わります。何か大事件が起こり、ヤバそうだね、ああ深刻になってきた、もうダメだーとなるのではなく。神である主が「ここまで」とおっしゃったら、そこで終わりです。その時、死んでいる人も生きている人も、すべての人が集められ、イエス様を王として迎える人は残され、迎えない人は追い出されてしまいます。多くの人は世界が神様によって始められたことを信じられないと言いますし、また世界が神様によって終わることも信じられないと言うでしょう。あなたはどうですか?
 クリスチャンが世界の終わりを信じているのは、その証拠があるからです。それはイエス様が十字架にかかって死に、3日目によみがえられ、復活のからだをもって弟子たちに現れたのです。それは人の死の後に、復活があるという証拠です。その弟子たちの証言が現代にも残っていて、それが新約聖書です。沖縄県平和祈念資料館に行くと戦争体験者の証言がまとめられて展示されています。私はこのことを体験しましたという証言です。それと同じように、イエス様の死と復活を確かに目撃し、復活のイエス様と40日間を共に過ごした証言が残っています。さぁ、この証言を読んで、あなたはそれが事実であることを受け入れますか。
 今日開いた箇所に書いてあったのは、トマスが復活のイエス様に会った時の出来事です。このトマスはイエス様が選ばれた12弟子のひとりで、とても情熱的な人でした(ヨハネ11:16、14:5)。イエス様をとても尊敬していて、どんなところでも一緒についていこうと思っていました。たとえ死の危険があっても、イエス様についていこうと仲間たちに呼びかけるような人だったのです。ところが彼が尊敬してやまなかったイエス様は、ユダヤ人の指導者たちに捕らえられ、不当な裁判にかけられて、十字架刑という死刑で殺されてしまいました。どんなに失望したことでしょうか。イエス様は神に選ばれたキリストだと信じていたのに、何も達成されないまま死んでしまった。彼は抜け殻のようになっていたのではないかと思います。
 しかし、イエス様は死に打ち勝ち、復活しておられました。十字架の死の後、墓に葬られ、3日目つまり日曜日の朝によみがえられました。最初にそれを知ったのは、墓に来た女性たちでした。次にペテロとヨハネが墓に来て、それが空になっているのを見ました。。その日の夕方、弟子たちは部屋に鍵をかけて閉じ籠もっていました。イエス様を死刑にした人たちが自分たちも捕らえに来るかもしれないと恐れていたからです。するとイエス様が来て彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように(シャローム)」と言われました。ところがこの時、トマスはその部屋にいなかったのです。
 トマスは自分の目で復活のイエス様を見ませんでしたが、他の弟子たちの証言を聞きました。彼らはトマスに「私たちは主を見た」と言ったのです。これまで数年間、寝食をともにしてきた仲間たちが口々に「私たちは主を見た」と言っていました。トマスは何を思ったのでしょうか。気が狂っていると思ったのかもしれません。トマスは《「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」》と言いました。
 それから8日後、弟子たち部屋にいて、トマスも一緒にいました。扉には鍵がかけられていましたが、イエス様がやってきて、彼らの真ん中に立ち「シャローム」と言われ、トマスに向かって語りかけられました。《「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」》この時、トマスはイエス様の手と脇腹の傷を見て、自分が何を言ったのか、それが何を意味するのか気がついたのでしょう。イエス様の手と脇腹の傷は、十字架にかけられた時につけられた傷の跡でした。十字架はローマ帝国の死刑の方法ですが、恥と苦痛を与えて死に至らせるものでした。十字架刑にかかる人は、まず十字架を背負って街の通りを歩かなければなりません。街中の人に見られ、笑われ、侮辱されながら刑場に向かっていきます。刑場の丘につくと服を脱がされ、十字架の木に釘で手足を打ち付けられます。イエス様は十字架刑の前に鞭で打たれていましたので、すでに息も絶え絶えでした。十字架が立てかけられます。そんなに高さのあるものではありません。つばを吐けばかかるような高さです。その木の上で痛みに悶え苦しみながら数日かけて死んでいくのが十字架という刑でした。イエス様が息を引き取られた後、遺体が降ろされる前に、本当に死んでいるか確かめるため、兵士がイエス様の脇腹を槍で突き刺しました。このようにしてできたイエス様の手と脇腹の傷でした。
 トマスは自分の言葉がどれだけ冷たく辛辣で、イエス様を傷つけることか気が付いていなかったのです。人はもし、自分が辱めを受けた経験や痛かった経験に触れられたら、しかもその人に見捨てられて、裏切られた結果、そうなったのならなおさら、怒り出すものではないでしょうか。でも、イエス様はご自分の恥や痛みは二の次、トマスが信じて、平安があるようにと願い、もう一度十字架の恥や痛みを思い出すことも厭わないで、トマスに手と脇腹を示されたのです。トマスは傷に触れることなど出来ませんでした。あの言葉がなんと冷たい言葉だったか気が付いたのでしょう。トマスはイエス様に《「私の主、私の神よ。」》と答えました。
 「私たちは見た」という証言を聞いて、私は決して信じませんと言ったトマスは誰のことでしょうか。イエス様がよみがえられたと書いてある証言を読んで、私は決して信じないと言っているのは誰のことでしょうか。「神はいない」「私は信じない」「復活などあるわけがない」この言葉がどんなに冷たい言葉か、気が付いていますか。「神なら傷付いても平気だろ、勝手に傷付いていろ。でも私が害を受けそうな時は、私を守っていなければ駄目だ。私や他の人が病気になったり、貧乏になったり、傷付いたりしたら、神がいるとは認めないからな。ちゃんと守って、祝福を与えているなら、あとは黙ってあっちの方に静かに引っ込んでてくれ。」もしあなたがそのようなことを誰かに言われたら、どう感じますか。とても悲しいでしょう。悲しみで怒りがわくでしょう。もう絶交だ、二度と会うものかと思うでしょう。トマスの言葉を見てください。彼が釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じないと言った時、イエス様は目に見えませんでした。でも、主はその言葉を聞いておられたのです。ところが、イエス様はトマスの目に見えるようにして現れ、指を当ててみなさい、手を脇腹に入れなさいとおっしゃいました。怒りをぶつけるためですか?いいえ、トマスに平安があるようにするためです。
 主はあなたに語りかけておられます。「信じない者ではなく、信じるものになりなさい」と。またイエス様は弟子たちに、主を信じる人たちに父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさいとお命じになりました。信じる人たちがイエス様の教会に加えられ、兄弟姉妹が共に、主が生きておられることを証言するためです。
 お祈りします《それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」》
 
 天の父なる神様。愛と恵み、いつくしみと忍耐と寛容のお方。私たちの主よ。今日に至るまで私たちを真実に愛し続け、忍耐していてくださることをありがとうございます。時代は、インターネットの世代となり、電子メールや様々な方法で、人の顔を見ないで気軽にメッセージを送ることが日常となりました。私たちは時に、何気なく、面と向かっては到底言うはずもない言葉を投げてしまうことがあります。後で気が付いて、自分で自分の言葉に動揺してしまうことがあります。どんなに謝ってみても、相手がもう付き合いを止めようと思えば、それで終わりです。主よ。私たちはあなたの聖なるみ前で、何ということを言ってしまったのでしょうか。私たちはあなたに対して罪を犯しました。あなたの心の痛みは旧約聖書に記されていました。それにもかかわらず、今日までいつくしみと忍耐と寛容を続けてくださっていることは奇跡です。主よ。私たちをあわれんでください。
 主を信じることを選べるように、すべての人に恵みを与えていてくださることをありがとうございます。あなたの恵みを受け取り、よみがえりの主がすべてを新しくしてくださることを信じます。神の国に迎え入れ、十字架の死と復活を証言する人としてください。
 主イエス様のみ名によってお祈りいたします。アーメン。

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