2022.12.11アドベント第3礼拝「東の方からやって来た博士たち」マタイの福音書2章1〜12節


先週はでワールドカップのサッカーの
TV観戦で夜更かしの毎日でしたが、あちこちでクリスマスのコンサートも開かれ始めて、しみじみ神様の恵みを味わう季節になりました。王寺教会では17日午後に3年ぶりのコンサートがあります。待ち望んでいます。

「クリスマスは誰かのお誕生日なの?」って今度ケーキを待っている孫たちに確かめてみようかな。神様ってこんなお方であんなこともこんなこともして下さった。また、こんなご計画をお持ちなの。神様の一番お喜びなることはお好きなことは何でしょうか?
子供のように、クリスマスの時期にもう一度知りたいです。聖書を通して教えてください。(Re)

[礼拝説教] 中尾道程牧師

中東にあるカタールのドバイで、ワールドカップサッカー大会がなされ、日本が初戦でドイツと対戦して勝ったのをテレビで解説されていたのを見ました。
 その時に得点を入れて勝利に貢献した選手が、「前回のワールドカップ大会の代表選手に選ばれなかったので、次回はと願って他の選手に先立って準備(練習)をしてきた。」ということを語っておられたと言われていました。
 この選手は、ワールドカップサッカー大会に出場するために準備をしながら4年間も備えてきました。
私は「忍耐がある方ではないかと」自分では思っているのですが、家内は「私のことを待つことが苦手な人だ」と言っているようです。
でも、4年間も準備をして備えるということは、私には無理かなとも思います。
その選手は、その結果代表選手として出場が出来ただけでなくて、得点を入れて勝利に貢献することが出来たということでした。
 私たちは、さらにもっと素晴らしいイエス様の降誕節(クリスマス)に向けた備えをして待つ礼拝、今年3回目の待降節礼拝を持っています。
 〈クリスマス〉は、
―すでに皆様はよく知っておられますので、改めて語る必 要のないことでしょうがー
人類の代表であるアダムとエバが神様に背いて罪を犯したことにより、人類の全ての人は例外なく罪人となりました。
 しかし、「愛」と「義」で在られる神様は、人をその罪から救うために十字架による贖いを与えようとしてくださいました。
そのために、神様は何千年もの時をかけて全ての事を準備し下さり、「時が満ちて」キリスト(イエス様)を誕生させてくださいました。
これがクリスマスで、降誕節です。―聖なるお方の誕生という意味で聖誕節とも言われています。
 そこで、第3回目の待降節礼拝のために「マタイの福音書2章1~12節」を開かせて頂きました。
 ―この個所からー
  「東の方からやって来た博士たち」
との題で、共に学びたいと思います。
 
1、星を見た博士たち            1,2節              
 この博士たちについては、「東の方から博士たちが」と言われています。
 博士は、ギリシア語でマゴイ(マギ)ということばで、「もともとペルシアやバビロニア人の中での祭司階級を意味」していて。
 マタイは、このことばを東の方からの高貴な人々を示す良い意味で使っています。
 1節で、この東の方から来た博士たちが、エルサレムにやって来たことが述べられています。
さらに2節で、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方の星を見たと」預言を引用して語っています。
その星の預言は、民数記24章17節(旧約:286頁)に記されています。
それは、モアブの王バラクがバラムを招いてイスラエルを呪わせようとしたのに対して、逆にバラムがイスラエルの祝福する預言をした預言の一部です。
ここには、「ヤコブから一つの星が進み出る。イスラエルから一本の杖が起こり、」とあります。
「杖」は支配者の力と権威を示していて、この所は「優れた支配者の星」を意味しています。
それらのことが「今のことではない。」また「近くのことではない。」と言われていて、はるか遠い未来に起きることとして預言されています。
ここに、イスラエルを治める王(キリスト)が生まれる時に、その星が出現することが預言されているのです。
この預言は、ユダヤ人がバビロンに捕囚とされて行った時、その地に伝えられていったのでしょう。
そして、その預言が成就したことにより、東の方からの博士たちがその特別な星を見て、その星から強烈な印象を受けました。
彼らは、預言を知っていてその星を見つけたのか、その星を見て探し続けて預言のことばに行きついたのかはわかりませんが、そのことを知りました。
しかし、それはメシア(キリスト)誕生についてのほんの断片的な事にしか過ぎません。
でも、星を用いた神様に導かれて、彼らは「求め・さらに求め続け」ました。
そうして、ユダヤ人の王としてお生まれになった方を礼拝するために、何カ月もの旅行をしてエルサレムにやって来たのです。
それは、ユダヤ人の王としてお生まれになったのだから、王宮のあるエルサレムに居られるだろうと思ってでした。
しかし、そこにはおられませんでした。
でも、あきらめることなく求めました。
イエス様は求め続ける必要性と、求め続けることによって与えられることを、私たちにも教えておられます。(マタイ7章7,8節)
 
2、博士たちに対する反応          3~8節   
2節の「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。」との、博士たちの質問に対する3種の反応が見られます。
1ヘロデ王について
「これを聞いてヘロデ王は動揺した。」とあります。
この王は、イドマヤ(エドム)人で彼らは名目上のユダヤ人であり、彼はさらに疑い深い残忍な王でした。
それは、自分の息子の内3人を、王位を継ぐことに熱心になり過ぎたと考えて殺してしまった程です。
それで皇帝アウグストゥスは、この事を語呂合わせでもじって「ヘロデの息子(ヒュイオス)であるよりも、ヘロデの豚(ヒュス)であるほうがましだ」と言ったと言われています。
さらに、彼は死が近づいた事を知ると、エリコの町に退き、エルサレムの町の最も著名な人たちを背任罪で逮捕して、自分が死んだ瞬間に全員殺してしまうように命じました。
そうして、言ったというのです。―自分の死を悲しむ者はいないから、せめて自分が死んだ時に、誰かに涙を流させてやるのだ、と。
ですから、ヘロデ王は自分の地位が危なくなるのではないかと、恐れ惑い動揺したのです。
そこで、彼は博士たちから星の出現の時期を聞き出し、用意周到に準備してから、幼子イエス様を殺そうとしました。
そのことは、博士たちに欺かれたことが分かった時、ベツレヘムとその周辺の二歳以下の男の子を、みな殺させたことの中に見られます。(16~18節)
そのように、彼は自分の立場を守るため、イエス様誕生の事・真理を知るとそれを亡き者にしようとしました。
2エルサレム中の人々について
「エルサレム中の人々も王と同じであった。」とあります。
エルサレム中の人々は、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」、他の支配者が現れたら、ヘロデ王が何をするか分からないので、恐れて動揺したのでした。
また、ユダヤ人の王という支配者が現れたら、ローマ帝国からの厳しい報復があるのではないかとも、恐れ惑ったのです。
彼らは、真理を自らのものとするよりも、自分自身の穏やかな生活が脅かされるのを恐れたのです。
3民の祭司長たち、律法学者たち。
彼らは、ヘロデ王からキリスト(メシア)はどこで生まれるのかと問いただされた時、即答しました。
それは、(ミカ5章2節―旧約:1586頁)を引用して、ユダヤのベツレヘムと答えることが出来たのでした。
それ程、彼らは神様からのみことばの聖書をよく知っていて、質問されれば直ちに答えることが出来ました。
しかし、その中の一人もイエス様を礼拝しに行った者はありませんでした。
彼らは、いのちのみことばを聞いて知っていても、そのみことばによって生かされていませんでした。
彼らは聞いてもそのみことばに生きていなかったのです。
彼らの信仰は、知識だけの信仰であり無関心でした。
どんな立派な道具でも、活用されなければその人にとって意味がないものです。
いのちのみことばを知っていても、それが生かされて活用されないならば、それはその人にとっていのちのみことばではなくなってしまいます。―神様が与えてくださる永遠の命を持たない人となるのです。
この3者の人たちは、博士たちと共に神様の導きを受けて、イエス様を礼拝する恵みを得ることはありませんでした。

3、イエス様にお会いした博士たち        9~12節
 東の方からの博士たちは、イエス様誕生がエルサレムではなくてユダヤのベツレヘムだと聞き、ベツレヘムに向けて出かけて行きました。
 そうすると、かつて昇るのを見たあの星が彼らを先導して、ベツレヘムに住んでおられる家にまで導いてくれました。
 そこで、彼らは母マリアと共におられる幼子イエス様に、お会いして礼拝をしました。
 そして、宝の箱開けて、3種類の宝を贈り物として捧げました。
 その3種類の宝の箱の贈り物は、黄金と乳香と没薬でした。
 その「黄金」は、王への贈り物として最も相応しい宝物でした。
 また、「乳香」は祭司たちが神殿で神様に捧げましたので、祭司への贈り物として相応しい宝物でした。
 さらに、「没薬」は防腐保存のために用いられていましたので、死のうとしている人のための贈り物として相応しい宝物でした。
 イエス様は、王の王であり、大祭司でもあり、十字架で死ぬために来てくださったお方ですから、それらはそのお方に最も相応しい贈り物でした。
 彼ら「博士たち」は、断片的な知識を持っているに過ぎない人達でした。
 それでも、彼らが信仰を持って求め続けた事により、彼らだけが神様の導きを受けて、イエス様にお会いすることが出来て礼拝をしました。
 そうして、最も相応しい贈り物をすることが出来たのです。
 ヘロデを始め3者の人たちも、もし悔い改めて神様を信じる者に変えられて求め続けていたならば、神様の導きを受けてイエス様を礼拝する特権が与えられたでしょう。
私たちも、東の方からの博士たちのように、信仰を持って求め続けるなら神様の導きが与えられます。そしてイエス様にお会いし、心からの礼拝をする者とされるのです。
信仰を持ってクリスチャンとしての生活をしています私たちは、神様の大いなる恵みとあわれみによって、神様の導きと礼拝が出来る特権が与えられているのです。
―お祈りをします。


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