2022.5.1主日礼拝「間違った相談相手」I 列王記12章21〜33節

会堂玄関前の花。写真はSさんより 

連休が始まりました。マスクの生活、ウイズコロナも当たり前になりました。お天気のせいか少し気が緩みます。何か希望のようなものが湧いてきます。季節を、花を楽しむ余裕が出てきたようです。今回のメッセージは旧約聖書に戻ります。一人で読むと面白くない記述が続きますが、牧師先生の解説を聞くと神様の意図があぶり出されて神様の深い配慮を知り、神の愛に感動し、人の愚かさに恥じ入ります。(Re)
[礼拝説教] 中尾敬一牧師

おはようございます。この朝も主の食卓に招かれ、兄弟姉妹と共に主の恵みをいただいておりますことを感謝しております。
 先聖日は2年ぶりとなる聖餐式をもたせていただきました。実際にパンとぶどう液をいただいて、十字架と復活にあずかった恵みを記念できましたこと感謝です。また今日も霊的聖餐があることを思い出していただきたいと思います。イエス様の教会では、聖餐のない礼拝はあり得ません。私たちは毎週、イースターのあった日曜日の朝に集まり、イエス様の十字架と復活を記念しています。過去の歴史で、聖餐式のパンとはワインが特別な力を持ち、人の体の中でイエス様の血と肉に変化するという考えが出てきました。しかし、聖餐式のパンとワインが特別なのではなく、ただ一度ささげられた御子イエス様の十字架が特別なのです。聖餐式は私たちの信仰が大切です。それで私たちは年に4回ほどはパンとぶどう液を用いて聖餐式を行い、他の聖日は霊的な聖餐にあずかっています。今日も、目には見えませんが主の食卓があり、私たちは恵みの席に招待されて座っています。
 ところが、式の数が減ると、逆に聖餐式が珍しいものになってしまい、特別感が高まってしまうというジレンマもあります。実際に、聖餐式のある聖日が他の聖日よりも素晴らしい日であると感じてしまうこともあるのではないでしょうか。ですから、私たちは目に見えるものから意味を捉えるのではなくて、聖書から意味を学び、目に見えない真理から見える形に表すようにしなければいけません。
 これからしばらく、ソロモンからバビロン捕囚までの期間に注目していきます。この時代は預言者が注目を集めた期間でもありました。みなさん、「主のことば」「神のことば」と聞いた時、何を思い浮かべますか。おそらく聖書だと思います。旧約聖書時代の人たちにとって、聖書はモーセ五書(創出レビ民申命記)でした。律法とか、あるいは単にモーセと呼ばれていました。「モーセが言っている」とはモーセ五書に書いてあるという意味です。それでは、人々は聖書を読んで神のことばを受け取っていたのかというと、実はそれだけではありませんでした。預言者がいたのです。
 このモーセと預言者は特別な関係にありました。預言者はモーセに耳を傾けるよう人々に促し、モーセの教えは預言者にその意味を説明させました。また預言者の言葉はモーセと一致しているか試され、モーセの教えは預言者を通して新しい時代に適用されなければなりませんでした。
 イエス様の例えに「金持ちとラザロ(ルカ16:19-31)」という話がありますね。金持ちは死んだ後にアブラハムを見つけてお願いします。「私の兄弟たちにこんな苦しい場所に来ることがないように、警告してください。死んだ者たちの中から誰かが彼らのところに行けば、彼らは悔い改めるでしょう」と言いましたが、アブラハムは彼に答えました。「モーセと預言者たちに耳を傾けないのなら、たとえ、だれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。」この例え話にも「モーセと預言者」が出てきていました。
 聖書の非常に興味深い点は、その教えがマトリョーシカのように入れ子状になっているということです。聖書の中に書いてあることは、聖書の外も説明しています。旧約聖書時代にモーセと預言者があったということは、新約聖書時代に旧約聖書とイエス様があったことと重なります。そして新約聖書以降の私たちの時代には、旧新約聖書と解き明かす人たちがいるのです。
 ソロモンからバビロン捕囚の時代に入っていきましょう。聖書をお開きください。I列王記12:21-33(621ページ)【聖書朗読】
 
 レントに入ってからイースターまで、しばらく旧約聖書を離れておりましたので、これまでの話を思い出していただきたいと思います。ヨシュアからソロモンの神殿建設までの時代を見てきました。約束の地で安息をいただいた民は、主を脇においやり、ついには御心をそれて主の神殿を建てるところにまで至ってしまいました。民のただなかに住んでくださっていた主は、ダビデの町エルサレムに建てられた神殿に、カナンの神々と同じように住まわせられることになりました。それは、どの部族のしがらみもなかった土地に神殿を建てれば、部族間の争いから守られ、王座も揺るぎないと考えたダビデの知恵(人の知恵)でありました。ところが、その考えが間違っていたことが明らかになっていきます。
 ダビデから三代目のレハブアムの時代です。「会社は三代目が潰す」なんて巷では言われておりますが、このレハブアムの時にダビデ王国は南北に分裂してしまいました。これ以降、ひとつだったイスラエル民族はイスラエルとユダに分かれてしまいました。今まで「イスラエル」は民族全体を指す言葉でしたが、列王記以降は北側の王国をイスラエル、南側をユダと呼びます。ややこしいのですが覚えておいてください。この分裂の背景はI列王記11-12章、II歴代誌10章に書いてありますが、心に留めておきたいことは「主がこうなるように仕向けた」ということです。
 すると、主の神殿があるのは南側のエルサレムですから、北イスラエル王国の人々は祭りの度にユダ王国に出かけていくことになります。イスラエルの王ヤロブアムは「今のままなら、この王国はユダに帰るだろう」と考え、北王国にも礼拝場を作ることにしました。そこでヤロブアム王は相談して(誰と相談したの?)金の子牛を二つ造り、北イスラエルにあるベテルとダンに礼拝場を作りました。そして暦を定め、自分で勝手に考えだした月にベテルでいけにえをささげました。王としての政治判断ですね。分裂したとはいえ、もともと一つの民族ですから、国民の気持ちは日和見的にあっちに行ったり、こっちに行ったりするでしょう。今までと同じ習慣を北王国内で済ませられるようにしなければ、王国はもたないと考えわけです。とても合理的ですが、あまりにもモーセの教えをないがしろにしています。モーセを知っていたなら、絶対に主の像を造ってはいけないことが分かったはずです(しかも金の子牛!出32:24)。またイスラエル民族の祭りは主が定めたのです。例祭を自分で勝手に考えだすなどあり得ないことです。主と民との生きた関係がすっかり壊れていて、礼拝は民衆を治めるために利用される宗教となってしまったことがお分かりいただけるでしょう。
 それでは、「主がこうなるように仕向けた」とは一体どういうことだったのでしょうか。主はイスラエル民族を北と南に分けるように仕向けられましたが、金の子牛を造ったり、暦を変えたりするように仕向けられたわけではありません。「エルサレムに神殿を建てたことの行き着く先をよく考えなさい。」それが主の心です。主は人が罪を犯した時、すわなち主のことばに聞き従わず自分勝手に進んでいる時、しばらくの間、人がそのままの道を進むようにされます。「そうか。それならそうしてみると良い。しかしその道を行くと呪いがあるよ。」そうおっしゃった上で、そのままになさいます。人がその道を突き進み、やがて自分が想像していなかった先に行き着くことを知るようになさるのです。実に、見ないで信じる人は幸いです。かつてイスラエル人は王様がいれば国が安定すると考えました。しかし見てください。王が混乱と分裂の原因になっています。またダビデは敬虔な気持ちで主の神殿を建てなければと考えました。しかし見てください、主は民の只中におられて、ミツパでも、シロでも、ベテルでも、約束の地のあらゆるところを契約の箱は行き巡っていたのに、エルサレムに神殿が建てられ、それによって北王国の偶像礼拝が引き起こされてしまいました。ダビデは神殿建設が主のみ心でないとはっきりと教えられたのに、それを継続しました。ソロモンも止めませんでした。彼らに求められていたことは、立ち止まって、それを止め、悔い改めて主に聞き従うことです。
 ところが北イスラエルは悔い改めませんでした。一方の南ユダ王国は自分たちの敬虔さを誇っていました。私たちには正統なエルサレム神殿があり、主はユダに住んでおられる。私たちは偶像礼拝をしていない。主を礼拝しているのだ。さて、、。列王記の行き着く先を読んでみましょう。II列王記25:8-21《第五の月の七日、バビロンの王ネブカドネツァル王の第十九年のこと、バビロンの王の家来、親衛隊の長ネブザルアダンがエルサレムに来て、【主】の宮と王宮とエルサレムのすべての家を焼き、そのおもだった建物をことごとく火で焼いた。親衛隊の長と一緒にいたカルデアの全軍勢は、エルサレムを取り巻く城壁を打ち壊した。親衛隊の長ネブザルアダンは、都に残されていた残りの民と、バビロンの王に降伏した投降者たちと、残りの群衆を捕らえ移した。しかし、親衛隊の長はその地の貧しい民の一部を残し、ぶどうを作る者と農夫にした。カルデア人は、【主】の宮の青銅の柱と、車輪付きの台と、【主】の宮にある青銅の「海」を砕いて、その青銅をバビロンへ運んだ。また、灰壺、十能、芯取りばさみ、平皿、奉仕に用いるすべての青銅の器具を奪った。また親衛隊の長は、火皿、鉢など、純金や純銀のものを奪った。ソロモンが【主】の宮のために作った二本の柱、一つの「海」、車輪付きの台、これらすべての物の青銅の重さは、量りきれなかった。一本の柱の高さは十八キュビト、その上の柱頭は青銅、その柱頭の高さは三キュビトであった。柱頭の周りに格子細工とざくろがあって、すべて青銅であった。もう一つの柱も、格子細工もこれと同様であった。親衛隊の長は、祭司のかしらセラヤと次席祭司ゼパニヤと三人の入り口を守る者を捕らえ、戦士たちの指揮官であった一人の宦官、都にいた王の五人の側近、民衆を徴兵する軍の長の書記、そして都にいた民衆六十人を、都から連れ去った。親衛隊の長ネブザルアダンは彼らを捕らえ、リブラにいるバビロンの王のところへ連れて行った。バビロンの王はハマテの地のリブラで、彼らを打ち殺した。こうして、ユダはその国から捕らえ移された。》南ユダ王国の行き着いた先は、あの見下していた北イスラエルと同じく、外国による国の滅亡でした。
 結局のところ、主の心と人の心が噛み合っていないのです。聖書から神のみ心を知ろうとせず、預言者のことばに耳を貸さない人々の行き着く先です。《モーセと預言者たちに耳を傾けないのなら、たとえ、だれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。》現代の私たちにとっても非常に重い言葉です。
 王が民を虐げ、国が南北に分裂し、人々は後悔したことでしょう。先祖たちが王を求めなければ。しかし、もうどうしようもありません。そんな時に、主は預言者を遣わして、王たちに語り、礼拝と政治に介入していかれました。主の働き場はあらゆるところに至ります。主は世界と人を創造されるお方でした。何もないところからアブラハムを選び、一つの国を起されたお方でした。主はエジプトからイスラエルを救い出されたお方でした。災害から守り、病を癒すお方でした。主は人々の生活に関わられるお方でした。マナとうずらで養われました。主は戦いの時に士師を起こして、戦われるお方でした。そして主は、宗教指導者たちの礼拝と王たちの政治に関わり、石の心を肉の心に変えようとしておられます。これらの多岐にわたる事柄を主はおひとりでなされました。モーセは言っています。《聞け、イスラエルよ。私たちの神、【主】はただひとりの【主】である。(申命記6:4、脚注別訳)》
 モーセの教えを知らないヤロブアムは、金の子牛を2つ作り、「ここに、あなたをエジプトから連れ上った、あなたの神々がおられる」と言いました。古今東西の人々が考えつく神という存在は、担当部署がありますね。雨を降らせる神とか、病気を治す神とか、自然界の命の神とか。ヤロブアムの考えは人の考え出した宗教であることが分かるでしょう。主はすべての時代のあらゆる領域で働いてこられた、ただひとりの主です。あなたの人生に関わり、聖書とそれを解き明かす人を通して語りかけておられるお方は、この主です。
 ヤロブアムは一体誰と相談したのでしょうか。ユダの王レハブアムも相談相手を間違えました(12:8)。イスラエルの王ヤロブアムも相談相手を間違えました。あなたは誰と相談しますか。あなたは主のことばに聞き従っていますか。
お祈りいたします。《『【主】はこう言われる。上って行ってはならない。あなたがたの兄弟であるイスラエルの人々と戦ってはならない。それぞれ自分の家に帰れ。わたしが、こうなるように仕向けたのだから。』》
 
 天の父なる神様。愛とあわれみによって、私たちを贖い、昔からずっと背負い、担ってくださった主よ。この朝もあなたの恵みの席に招いてくださったことを感謝いたします。
 私たちに聖書を与え、生きておられるあなたが語り続けてくださっていることをありがとうございます。それにも関わらず、私たちの心はなんとあなたの御心からズレているものでしょうか。主よ、あわれんでください。
 あなたの御心をそれて自分の道を突き進む時に、あなたは私たちを忍耐してくださっています。その結果を見てはじめて、間違いに気づき、放蕩息子のように恥を抱えて戻ってくる者たちを、あなたはお見捨てになりません。子として迎え入れてくださることをありがとうございます。
 呪いを祝福に変えることができる唯一のお方。私たちの主よ。あらゆるところにあなたの御手の業があります。この世界を助けてください。また私たちひとりひとりに、御心を聞き、それに従う心を与えてください。あなたこそ私たちの相談相手です。

 主イエス様のお名前によってお祈りいたします。アーメン。


 

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