2021.12.5アドベント礼拝 第2回「メシア到来の知らせ」歴代誌117章1〜15節

 


アドベント礼拝第2弾です。今年の王寺教会のクリスマス・テーマは「希望の光、withジーザス」。聖書を、きっちり正確に伝えようという中尾牧師です、「歴史上にキリストは数えきれないほどいますよ」という言葉に、まずびっくり!

旧約聖書から今日もお話が始まります。でも、希望の星である「特別な」キリスト、「イエス・キリスト」は一人だけだと聞きました。礼拝音楽はギター演奏です。静かな響きが、深く心に沁みます。(Re)

[礼拝説教] 中尾敬一先生

おはようございます。アドベントの第2週に入りました。先週と同様にアドベントの霊想をお配りしています。オンライン礼拝をしてくださっている方にはEvernoteに添付しています。先週の霊想は「喜び」がテーマでした。疲れや憂い、惑い、罪の責め、不自由、悩み、貧しさ…。その中にやってきた恵みに、多くの人が喜んだことを思い出させていただき、私たちもまた「この状況に差し込んできた光」を見ることができたのではないでしょうか。コロナの影響が続いており、親しい人を失った方もおられることをおぼえることでありますが、現実逃避ではない確かな喜び、希望の光がイエス様にあることをぜひ知っていただきたいと思います。2週目の霊想はウェスレアン・ホーリネス教団シャローム日田教会の辛島道也(からしまみちなり)先生が執筆してくださり、藤本満先生が編集してくださったものです。どうぞお用いください。

 それでは、今日の聖書箇所をお開きください。I歴代誌17:1-15(734ページ)【聖書朗読】
 
 先週はイザヤ書を、今日は歴代誌を開かせていただいております。クリスマスといえば、イエス様の誕生に関わるいくつかの出来事がマタイの福音書とルカの福音書に記されています。ヨハネの福音書は出来事の描写ではなく、哲学的な表現によってクリスマスを記しています。ですから、新約聖書が開かれることが多いことでしょう。実際、お配りしていますアドベントの霊想をみましても、引かれている箇所は新約聖書からになっています。しかし、以前からお話しています通り、新約聖書は旧約聖書の前提の上に書かれているものです。「旧約聖書で示されている事柄がまずあって、それが実現した」ということですから、旧約聖書も新約聖書も一緒に読んで理解しなければなりません。新約聖書のほうばかり読んでいると、箱枠は分かるけれど、中身が分からないということになりかねません。
 そういうわけで、旧約聖書も新約聖書も両方朗読すれば良いのかもしれませんが、あまり長々と朗読して皆様が眠くなってはいけませんので、おそらく馴染みが薄いだろうと思われる旧約聖書のほうを朗読させていただいております。
 クリスマスは主イエス様のご降誕です。キリストの到来ですね。キリストはギリシャ語ですが、そのヘブル語はメシアと言います。さて、皆様、問題です。キリストは歴史上に何人いたでしょうか。メシアは何人いたでしょうか。_ 私は何人だったか数えきることができませんでした。キリストはめちゃくちゃ沢山います。例えば、アロン、サウル、ダビデ、ソロモン、エリシャ、みんなメシアです。みんなキリストです。メシアはmaw-shee'-akh(マシアハ)と発音します。訳すると「注がれた」という意味で、何を注がれるのかというと、オイルです。油です。例えば、詩篇132:10《あなたのしもべダビデのために あなたに油注がれた者を退けないでください。》と書いてありますが、この箇所も「あなたのしもべダビデのために メシアを退けないでください」とヘブル語では書いてあります。古代イスラエルでは、預言者、祭司、王様という特別な役職に就く人は、オイルを頭から注がれたのです。それは任命の証であり、神である主の働きを主の手足として行うという意味がありました。
 そのように古代イスラエルには沢山いた「油を注がれた者」キリストたちですが、イスラエルの歴史が進んでいく内にあることが分かってきました。どうやら、やがて特別なキリストが現れるらしいということです。11-14節《あなたの日数が満ち、あなたが先祖のもとに行くとき、わたしはあなたの息子の中から、あなたの後に世継ぎの子を起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしのために一つの家を建て、わたしは彼の王座をとこしえまでも堅く立てる。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。わたしの恵みを、わたしはあなたより前にいた者から取り去ったが、彼からはそのように取り去ることはしない。わたしは、わたしの家とわたしの王国の中に、彼をとこしえまでも立たせる。彼の王座はとこしえまでも堅く立つ。》
 かくして。千年ほど経ったローマ帝国下のユダヤで、マリヤのもとに天使が現れました。御使いはマリヤに言いました。《「恐れることはありません、マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」(ルカ1:30-33)》主がダビデに約束してくださった言葉と一致しています。主は御子イエス様を約束通りに送ってくださっただけでなく、このように様々な事柄を通して、イエス様こそが待ち望まれていた特別なキリストであることを分かりやすく教えてくださったのです。《わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。》と言われた通り、イエス様は主ヤハウェを父と呼び、御父はイエス様をわたしの子と呼ばれました。
 ユダヤ人にとって特別なメシアはまさに希望の星でした。バビロンに滅ぼされてから一度も復活しなかった油注がれた王様の到来でした。王様がいるということは、自分の国があるということです。他の国に寄留者として住んでいると多くの不幸に遭うのです。バビロン帝国、ペルシャ帝国、ローマ帝国に支配されてきた小さな民族にとって、主が罪を赦してくださって、もう一度、民族を集め、国を回復してくださることは長年の夢でした。私たちにとっても同じことです。アブラハムの前にはエデンの園の出来事がありました。人は神の国に住んでいたのですが、罪によって、王を失い、国を失ったのです。それはすべての人に当てはまります。「私はこの世界で生きるのが苦しい」と思われたことはないでしょうか。ここは自分の国ではなく、私たちは寄留者であり、本当の王を失っているからです。
 イエス様はユダヤ人が待ち望んでいた約束のキリストでした。ところが彼らはイエス様を受け入れませんでした。熱心党は戦争による独立を願い、パリサイ派は道徳と規律を求め、サドカイ派は神殿での礼拝式を、ヘロデ党はローマ帝国との融和を、エッセネ派は町から離れてコミュニティを作ることを求めていたからです。「この世界で生きるのが苦しい」と思っていた人びとは、それぞれに理想を追い求め、その理想を実現してくれるのが来たるべきメシアだと堅く信じていました。例えば、バプテスマのヨハネはエッセネ派とされる人です。彼はイエス様がキリストであることを預言した後で、イエス様の行動を見て、イエス様がキリストかどうか疑い始めました。イエス様はヨハネの弟子に答えておっしゃいました。《わたしに腹を立てない者は幸いです。(マタイ11:6)》イエス様が救い主だと聞き、期待した後で、イエス様がしてくださることを見て腹を立てている人はいないでしょうか。
 ピラトが法廷でイエス様に「あなたはユダヤ人の王なのか」と尋ねた時、イエス様はこう答えられました。《「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。(ヨハネ18:36)」》イエス様が来られたということは、神の国がわたしたちのところに来たということです。神の国は世の力によって来たのではありませんでした。ダビデは神のために宮を作ると言ったのですが、人は神の宮を作ることができません。《【主】があなたのために一つの家を建てる》これが主の約束です。人が思い描いている希望というのは、何世代も試しに試されて結局空しいと判明している事柄なのです。主が立ててくださる家こそ、本当の希望です。
 イエス様がオイルの代りに聖霊を注がれた時、天から父なる神の声が聞こえました。《「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」》この言葉に共鳴して思い出されるのはアブラハムへの主のことばです。《「あなたの子、あなたが愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そして、わたしがあなたに告げる一つの山の上で、彼を全焼のささげ物として献げなさい。」》最終的にアブラハムはこれを成し遂げることはありませんでしたが、主はこれを成し遂げられました。和解のいけにえによって、主が民を赦し、民を連れ帰って、神の国を民のためにもう一度立ててくださるためです。
 キリストが来てくださったことは、秘密裏に行われたのではなく、あらゆる方法で私たちに知らされています。マリヤには御使いが現れました。ヨセフにも、ザカリヤにも。羊飼いや東方の博士には星が現れました。今日においてもクリスマスを知らない人はいないでしょう。クリスマスの意味を知らない人は沢山いそうですけれども、クリスマスを聞いたこともない人はとても珍しいのではないかと思います。クリスマスは主イエス様が地上に赤子として来てくださったことを記念する日です。私たちはこの世界で寄留者のようにして生活しています。まるでエジプトに住んでいたイスラエル人、バビロンに引いていかれたユダヤ人のようではないでしょうか。しかし主は、私たちの家を、私たちの国を立てるために来てくださいました。罪によって失ってしまったのに、主は私たちのために和解のいけにえをささげてくださいました。それゆえにもう一度、集めて、都に連れて行ってくださいます。

 お祈りいたします。《わが民イスラエルのために、わたしは一つの場所を定め、民を住まわせてきた。それは、民がそこに住み、もはや恐れおののくことのないように、不正な者たちも、初めのころのように、重ねて民を抑圧することのないようにするためであった。
… 今、わたしはあなたに告げる。【主】があなたのために一つの家を建てる、と。》
 
 天の父なる神様。私たちの賛美をうけるにふさわしい、ただひとりの主よ。私たちのうちに御国をもたらしてくださりありがとうございます。あなたの計画は人の心に浮かんだことのない完全なものでした。足りない考えであなたに腹を立ててしまう私たちをあわれんでください。
 こんな世界の果ての片隅に住む私たちに目を留め、メシアの到来を知らせてくださったことを心から感謝いたします。このクリスマスも希望の星を見て、イエス様と共に過ごす時とさせてください。あなたの元には平安があります。このコロナ禍にあっても、私たちを守り続けてください。
 この良い知らせが山を越え、谷を越え、世界の隅々にまで行き渡りますように。また私たち王寺教会をあなたのアクセサリーとして用いてください。あなたが来てくださったこと、また帰ってきて私たちを集めてくださることは本当の希望です。今は恵みの時。あなたの忍耐をいただいている時です。すべての人が招かれています。「わたしはここだ」と言うあなたの言葉が届きますように。
 感謝して、主イエス様のお名前によってお祈りいたします。アーメン。




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