2021.9.5主日礼拝「イエス様の出エジプト」ルカの福音書9章28節~36節

 
9月に入り朝夕の涼しさに癒されています。秋が待ち遠しいです。
 
先週は、不正やえこひいきを起こさず、所有地(収入)のない人たちに衣食住が与えられることが、聖書のいう「正義と公正」だと学びました。
 
イスラエルの12部族の中のレビ族は、神殿で奉仕だけをする部族で、民全体からささげられる献金で収入を与えられていましたが、その一番の理由は、彼らが所有地を持たない人々だったからです。神に選ばれた彼らが所有地(収入)を持たない弱い立場に意図的に置かれたのは、収入が自分の力によって得たと考えさせないためだと知りました。 私達の教会にもレビ族にあたる牧師がいて下さいます。教会の会計は献金で支えられていますが、献金は教会にではなく神様にささげられたもの。もとは神様から与えられた恵みである事を自覚し、献金を正義と公正をもって用いることが大切だと教えられました。 今回から数週間かけて「救い」についての学びが始まります。
 
私達クリスチャンにとっての「救い」とはなんでしょう。 イエス様は、エジプトで奴隷となったイスラエルの出エジプトを、現代の私たちに成し遂げるために来て下さいました。 私たちはイエス様の十字架による救いを信じて洗礼という「水」を通ります。これは、海を2つに割ってイスラエルを救って下さった主の救いを受けたということです。 「イエス様を信じてあがなわれた」これがクリスチャンの「救い」です。
 
私がイスラエルのように奴隷となり苦しみや悲しみの中を通る時、神様はそのような私の弱さや叫びをすべて知っていてくださり、御子イエス様の十字架によってその奴隷状態から解放して下さいます。これが「あがない」です。日々の生活の中で神様を信じたものが受ける特権。その一つ一つを数えながら今日一日の感謝のお祈りをするのです。  そして、ユダヤ人の迫害者たちに捕らえられ法廷で死刑判決を受けるかも知れないその時、「人に従うより、神に従うべきです」と述べたペテロの信仰を私にも下さいと。  (okumoto)
 
 
公園のコキアは少し色づいて

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