2021.7.18 主日礼拝 「恵みを見出した」創世記5章1節〜32節

 
梅雨が明け、いよいよ猛暑の到l来です。今朝の会堂は、昨日に行われたワックスがけで床はピッカピカ、全開の窓から入る自然の風にエアコンから吹き出る冷風が重なりあって心地よく感じられます。
 
今朝の聖書の箇所は、創世記5章です。 神様が、神の似姿として造られた人アダムからノアの箱舟までの歴史について書かれている章です。とは言っても簡単な記述で、ほとんどに共通しているのは、最後に「こうして彼は死んだ」と書かれているだけ。聖書を読み慣れない人にとっては「何これ?」と聞いてみたくなりますね。 彼らのほとんどは、神様から目を伏せて不従順な時代を生きていた人たちでした。神様は、暴虐に満ちた人と世界をずっと忍耐をもってご覧になり人を造ったことを悔やまれ、どうすればこの間違った人と世界を造り変えることが出来るのか悩み抜かれた後、ノアの箱舟だけを残して大洪水により全てを洗い流して新しくされました。 でもどうしてノアが選ばれたのでしょうか。 それは、ノアが、その時代にあって主を愛し、主に従順な人だったからです。彼は、いつもまっすぐに主の目を見上げ、すべての人が救われ真理を知るようになることを主が望んでおられると感じていたからです。
 
私達も人生で何度も『ノアの箱舟』に助けて頂いた経験があります。 私たちを救い永遠の祝福といのちを与えて下さった『ノアの箱舟』は、新約聖書の中のイエス様の十字架の死と復活の祝福にあずかる、水によるパプテスマを暗示していたのです。
 
私は、今まで何度もこのノアの記事を読んでいますが、ノアの従順な信仰については学んでいても神様が、私達を一度無いものにして造り変える時の辛い苦しみを深く知ろうとしない者でした。 私自身、ノアの時代に生きた人たちと何ら変わり無いことに恥ずかしく思います。神様、不従順な者をお許し下さい。 この一週間、神様の苦しみを無駄にしないように信仰が守られますように。( okumoto)

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