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20200802平和のために祈る礼拝 

悲しむものは幸いです。その人たちは慰められるからです。(マタイ5:4)

平和を作るものは幸いです。その人たちは神の子供と呼ばれるからです。(マタイ5:9)

8月第1聖日恒例の平和のために祈る礼拝です。今回はコロナ禍のため従来の戦争の体験談を伺うプログラムを変更、渡辺信夫牧師(今年96歳で召天)の著作「戦争で死ぬのための日々と、平和のために生きる日々」から 戦争体験者からのメッセージを読み取りました。(礼拝メモ参照)私を含めて戦争を知らない世代が多い昨今、貴重な時間でした。

以下、太字は著書からの言葉です。

一つ驚くべきことは、戦争に行く人たちが「戦争で死ぬために生きていると言う生き方の型にはめられていたこと」。そして戦死に「付加価値」が添えられ、「死者に栄誉が与えられ」美化されため、本当に死を悲しめない「感性の破壊が進められた」。戦争という国家犯罪の暗黒を隠微する欺瞞が進められてきて、戦後にもこの感性の系譜があるという発見に驚きました。

戦死を美化するため死を本当に悲しめない、いや悲しんではいけないという感覚に育てられてきているのもしれません。異様なことです。聖書にはモーセの十戒の中に「殺すなかれ」とはっきりと戦争を禁止しています。(出エジプト記20:13)当時迷いつつも戦地に行かれた多くのクリスチャンがいました。その傷は深いようです。渡辺先生の著作を主牧先生の解説で読んでいき、今戦争のない日本に生きていることに感謝すると同時に、人の心も破壊する戦争に向かうような動きに断固反対する気持ちを持つこと、また今戦争状態にある国々とその人々のために祈らされました。そして日常生活の中にも小さな戦争がないだろうか、、平和を作り出していくものになろうと祈りました。(Rebecca)


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