20200614礼拝「わたしの民、あなたがたの神」⑯「マナを与える神」

出エジプト記16章から「マナを与える神」というテーマで、神が私たち人間にとってどの様な存在であるかを学びました。
エジプトの奴隷生活から解放され、エリムというオアシスで十分な休息を取り、踊りながら歌い神を賛美していたイスラエルの民ですが、神が導こうとされているエリコへ向かうためにエリムから旅立ったイスラエルの民の姿が16章では描かれています。
1~3節では、イスラエルの民が”食べ物がない!”と早速、不平をいう姿が描かれています。不平は目の前の現状を見て、過去の苦しみを無かったことのように美化して過去と現状を比べて捉えてしまうことから起こります。
4~12節では、イスラエルの民の不平を聞いて神が天からパンを降らせるという約束を民に告げます。
13~15節では、夕方にはうずら、朝にはマナを与える様子が描かれています。
イスラエルの民に与えられたマナという食べ物はイスラエルの民が見たことのない白く細かい霜のような食べ物でした。
16~36節にはマナという食べ物を集めることについて神が与えたルールが書かれています。そのようなルールを神が与えたのは、イスラエルの民が神の教えに従って歩むことを学ぶための訓練のためでした。
以上のことより、神は私たちの必要を満たしてくださる方であること、そして、神は私たちに与えて甘やかすだけでなく、私たちを成長させるために訓練をして下さる方であることを学ぶことが出来ました。
神と共に歩み神の訓練を受けることで、私たちは私たちの必要が満たされる不平不満のない人生を歩むことができます。

最後に、森永製菓より1930年から発売されているマンナという、幼児用ビスケットの名前は、このマナから付けられているそうです。
赤ちゃんが親から与えられた食べ物を食べ養育されて成長していくように、私たちも神から与えられた必要に満たされ訓練されてアフターコロナの時代を歩んでいきたいと改めて感じました。                             (NAOMI)

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