1500年かかって書かれた聖書66巻を貫いているテーマはイエス・キリスト。
旧約聖書は新約聖書より400年も前に書かれましたが、旧約の出エジプト記の記事の中にイエス・キリストの存在が予兆されているお話に驚き、壮大な神の計画にワクワクします。
約束の地へ行く荒野の旅路でパンがないと不平をいうイスラエルの民に、神は天から降るパン(マナと呼ばれる)を与えてくださり、それを食べて民は命をつなぐことが出来ました。新約聖書の中でそのことを説明して、イエス様は「私はいのちのパンです」と自分を証しされました(ヨハネ6:35)。もちろんイエス様は食べ物ではなく、心や精神などいのちを育むものという意味でパンと言われたのです。
今回の出エジプト記17章では、旅の途中「飲み水がない、我々を殺すつもりか」とモーセに詰めよる民に、神は杖で岩を打つようにモーセに命じられました。すると岩から水がほとばしり出て、民は渇きをいやすことができたのです。新約聖書コリント人への手紙1の10の4では、この部分を解説して、「彼らについてきた霊的な岩から飲んだ。その岩はキリストです」とあります。すなわちイエス・キリストはイスラエルの民と一緒に当時すでに荒野にいたということです。
この岩であり石であるキリストという表現は新約聖書のなかに多く見出されると学びました。(ミッションスクールの校歌の歌詞にもあると聞きました!)
いきいきとした生き方を与えるいのちのパンであるキリスト、岩から水を出してくださるように、私たちの飢え渇きをいやして心に正しい答えを与えてくださる岩なるキリスト。
コロナ禍で生活が変わり、不平不満を言いやすい私たちです。このキリストにより頼んで私たちを愛し支えてくださる神様に希望を抱き、良き歩みをしたいと思いました。 (Rebecca)
季節は梅雨に。会堂の玄関前の花々。
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