2023.6.18父の日礼拝「父と仕事」ヨハネの福音書20:19-23

 

今日は父の日です。ヨセフ会の力強い賛美が響いています。(youtubeで聴いてください)メッセージでは「主はご自分の働きに誰かを遣わすお方」という言葉が心に残りました。「父」は神様から遣わされた。アダムが、ヨセフが、ダビデが、神様のお仕事を担うためにそうであったと。父親たる存在について深く考えさせられました。(Re)

 [礼拝説教] 中尾敬一牧師
 おはようございます。今日は父の日を記念して礼拝の時をもっています。いつも主の道を歩み、天の下で生きることの大切さを教えてくださる、主にある父のみなさまに心から感謝いたします。
 また全ての人の天の父である主に感謝しましょう。「天の父」という言葉は、イエス様が教えてくださった神である主の呼び名でした。イエス様はご自分を遣わされた方を指して、天の父(わたしの父)と呼ばれました。イエス様が教えてくださった祈りも「天の父よ」と呼びかけることから始めるようにと教えています。それまで全能の神、主を父と呼んだ人はいませんでしたので、人々はみな驚きました。そのように親しく神に呼びかけることができるお方は一体誰なのでしょう。ユダヤ人の律法主義者たちは目くじらを立てましたが、天におられる神はイエス様に答え《「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」》とおっしゃったのでした。
 私たちにとって幸いなことは、何と父と子の関係は、御父とイエス様の関係に留まらず、私たちと神さまとの関係にも波及していくということです。イエス様を信じる者は、神の子とされ、天におられる神を「父よ」と呼ぶことができるようになるのです(ガラテヤ4:6)。イエス様はこのことを放蕩息子のたとえ話で教えてくださいました。私たちはそもそも神に造られ、神によって生まれた子どもたちでしたが、父の元を離れて空しい生活を送っていたのです。父の元に帰る時、父の方からあなたに駆け寄り、ご自分の子として受け入れてくださると聖書は言っています。
 私たちの父はどのような方でしょうか。今日、私たちに何を語っておられるでしょうか。聖書をお開きください。ヨハネの福音書20:19-23(228ページ)【聖書朗読】
 
 先月、母の日礼拝をもちました。子どもを産み、育てることは祝福と同時に呪いがあることをお話しました。エデンの園でエバに告げられた呪いの結果でした。一方で、アダムもまた、罪の結果である呪いを受けました。その時、主がおっしゃったことはこうです。《あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。大地は、あなたに対して茨とあざみを生えさせ、あなたは野の草を食べる。あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。(創3:17)》まず1つ目に、苦しんで大地から食を得ることになりました。本来、大地は人を養うために造られていました。大地には植物が生え、種のできるすべての草と種の入った実のあるすべての木は、人と獣、鳥やすべての地上動物の食物として、神さまから与えられていたのです。人は食を得るために汗を流す必要がありませんでした。それが呪いによって変わってしまったのです。また2つ目に、大地は人に対して逆らい、茨とあざみを生えさせるようになりました。食物を生じさせるのではなく、食べ物にならず、また食物の生長を妨げるものが生えてくるようになってしまいました。食を得ようとして働いても、妨害が起こるようになりました。
 アダムとエバの堕落以降、人の仕事は変わってしまいました。最初に神がアダムにエデンの園を耕させ、また守らせた時、動物たちを連れてきてアダムに名前をつけさせた時、仕事は祝福でした。それは活力と喜びの源でした。成功も失敗も関係がなかったのです。アダムは喜んで仕事をし、毎日そよ風の吹く頃に主とお会いして、喜びを分かち合っていました。ところが、アダムは罪を犯し、呪いを受けて、エデンの園の外で生活しなければならなくなりました。今度は食を得るために働かなければなりません。いのちに関わる事柄になってしまいました。成功か失敗か、いのちに関わるのですから、重要なことになりました。しかし、土地は言うことを聞いてくれません。思うように収穫が得られない。それは非常に大きなストレスとなりました。
 昨今の日本では、父親も母親も働く、共働きが7割を超えているそうですので、「父親といえば仕事」とも言えなくなってきています。それでも、どちらかといえば父親への期待は大きいものです。仕事にやりがいを見出し、活力と喜びを得ている姿を見ることがあれば、大きな責任にストレスを感じて、疲れ切っていたり、イライラしたりする姿を見ることもあります。成功するときもあれば、失敗することもあります。ある時期には仕事を失う経験をされる方も少なくはないでしょう。家族がいて、仕事を失うことは本当に大変なことです。さらに最近では家庭のことも担うのが当然という社会で(それは良いことですが)、さらに負担がのしかかっています。
 今日は父の日ですから、アダムの祝福と呪いを思い出してください。主を信じる者は神の国に入れられて、祝福のうちを歩むことができることを心に留めてください。すなわち神の国では、父の仕事の成功によってではなく、神である主の恵みによって必要が満たされるということです。家族みんなが信仰によって歩むなら、父親はどんなに助かるでしょうか。
 さて、 今日の箇所は、復活のイエス様が弟子たちに現れて、彼らに語られた場面です。イエス様は、御父が遣わすお方であることを思い出させてくださいました。聖書の最初から思い返してみますと、天の父である主は色んな場面で、人々をご自分の働きに招いて、遣わすお方であったことが思い出されます。ひとつずつ思い出してみましょう。
 最初からそうでした。主はアダムをお造りになり、エデンの園に置いて、そこを耕させ、また守らせました。動物たちを連れてきて、名前を付けさせ、すべての生き物をお世話させました。天地創造は人が造られて終わったのではなく、人とともに発展させていく将来がありました。しかし、人は神を離れ、呪いを受けて、エデンの園を追い出されることになってしまいました。
 それから人の悪はますます増大し、心に図ことがみな、いつも悪に傾くようになりました。主は大洪水を起こし、地上のすべてのものを滅ぼし去ることにされました。その時、主はノアに箱舟を作らせ、そこに自分の一族と全ての生き物から雄と雌の2匹ずつを入れて、生き残るようにされました。この時も、主は遣わして、働きを行わせるお方でした。
 アブラハム・イサク・ヤコブの時代になります。ヤコブの一族が飢饉で食べ物がなくなってしまった時、主は先に遣わしていたヨセフを用いて、一族がエジプトに逃れられるようにしてくださいました。ヨセフは主に遣わされていたことを知りませんでしたが、家族と再開した時、主がご計画をもって自分をエジプトに送られたことを認めました。
 それから400年後、ヨセフを知らないエジプトの王によって、イスラエル人たちは奴隷にされていました。彼らの叫びは天に届き、主はモーセを遣わされました。モーセは一度失敗して、隠居生活を送っていましたので、イスラエル人のためにファラオの前に行くなんて出来ないと思っていましたが、主はモーセを励まし、助けを与えて、派遣しました。
 主の民は約束の地カナンに入り、定住を始めました。度々、敵がやってきて戦わなければなりませんでしたが、その度ごとに主はさばきつかさを遣わされました。士師記ではオテニエル、エフデ、バラク、ギデオン、エフタ、サムソンが、サムエル記ではサムエルが起こされました。
 その後、王の時代がやってきます。主はサウルやダビデをご自分で選ばれ、王の働きに就かせました。次に、王の時代と重なっていますが、預言者の時代がきます。預言者は主のことばを与えられ、民に伝える人たちでした。旧約時代の最後はエルサレム帰還と神殿再建です。この時もエズラやネヘミヤが遣わされて働きました。そしてついに、御父はご自分の御子を世に遣わされました。それがイエス様です。
 このように主はご自分の働きに誰かを遣わすお方でありました。以前そうであったように、今でも遣わすお方です(21節)。さて、この話を聞いて、みなさんはどのようにお感じになるでしょうか。いつも人に仕事をさせて、ひどい神だ、そんなに人を苦しめて、呪い続けたいのかと思ってしまうこともあるかもしれません。しかし、それは実は誤解だと気が付いていただけたら幸いです。私たちは仕事というと、会社の人間関係を連想します。働きに遣わされるという絵を想像した時、上司と部下、あるいは元請けと下請け等の場面を思い出すでしょう。すると途端に神である主がなさっていることを誤解してしまいます。仕事を頼んで、自分はどこかへ行ってしまい、後になって結果を尋ねるのか。色々、自分の辛い実体験を思い出したりして、なんてひどい神かと思ってしまうのです。
 ある時、イエス様がタラントの例え話を教えてくださいました。マタイ25章にあります。詳しくは後で読んでいただけたらと思いますが、その話の中で、主人がしもべに言った言葉が出てきます。主人はしもべに言いました。《主人の喜びをともに喜んでくれ。》この言葉は仕事の場面で出てくる言葉でしょうか。私は聞いたことがありません。「主人の喜びのために頑張ってくれ」なら、ありそうな気がします。実はこのイエス様の例え話の中に、主が望んでおられる人との関係が表されています。神である主にとって、働きに遣わすとは「わたしの喜びのために頑張れ」ではなく「わたしの喜びをともに喜んでくれ」という思いがあるのです。それは上司と部下という関係ではなく、父と子の関係です。
 神さまからの働きは呪いではありません。主は人を呪いたいと思っておられません。呪いから救い出し、祝福をあふれるばかりに与えてくださるお方です。天の父から任される働きは、成功か失敗かでいのちに関わるものではありません。例えばモーセは、働きに成功したのでしょうか、失敗したのでしょうか。彼はイスラエル人をエジプトから脱出させ、カナンまで連れていきました。しかしエジプトからやってきた民は、ヨシュアとカレブを除いて、みんな不信仰のために荒野で人生を終えました。彼自身も岩を叩いたために、カナンに入れませんでした。ダビデはどうだったでしょうか。預言者エリヤはどうだったでしょうか。私たちの関心は仕事に成功したか、失敗したかです。それがいのちに関わる呪いの中で人生を歩んでいるからです。しかし天の父にとって成功・失敗は関心事ではありません。御父が人を遣わし、働きをさせる時、実は主ご自身がそれを成功させてくださると聖書は言っています。《【主】がヨセフとともにおられたので、彼は成功する者となり》ました(創39:2)。モーセの働きも主が成功させてくださり、民は約束の相続地を受け取りました。ネヘミヤも神殿再建に取り組んでいる時、《天の神ご自身が私たちを成功させてくださる。(ネヘミヤ2:20)》と言い、その通りになりました。
 ただ、私たちが神の国に入れられているといっても、まだ完全に神の国が来たのではないことも覚えておいてください。すべてが祝福ばかりではなく、呪いもまだあるのだということ。もはや私たちの成功や失敗はいのちに関わるものではなくなりました。主が恵みによって養っていてくださるからです。しかし土地は依然として茨とあざみを生えさせ、働きを妨害してきます。働きは順調にはいきません。神の人たちを見てください。みな働きの中で苦しんでいました。でも、主はともにいてくださいます。主は仕事を任せてどこかへ行ってしまったと思わないでください。目に見えないだけです。主が成功させてくださるということは、主はそこにいないように見せかけて、実は全部見ているということです。そこにいないように見せかけて、実は私たちのそばにいるということです。私たちの主は呪いの中に飛び込んでこられるお方です。父の心を知っていますか。
 天の父の心。それは「わたしの喜びをともに喜んでくれ」という思いです。成功か、失敗か、そんなことはどうでもいいことです。それはもはや私たちのいのちに関わる事柄ではありません。天の父の関心事でもありません。「お父さんの仕事を僕もやってみたい。私もやってみたい。」それで良いのです。《神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)》
 
 お祈りします《イエスは再び彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。」》
 
 天の父なる神様。イエス様の父であり、私たちの父である方、イエス様の神であり、私たちの神である方。私たちの主よ。
 父の日礼拝の朝に、あなたをおぼえることができ、感謝いたします。あなたは放蕩息子を決して忘れることがありません。私たちが忘れられていると思っていても、それは事実ではありません。《あなたは 私の座るのも立つのも知っておられ 遠くから私の思いを読み取られます。あなたは私が歩くのも伏すのも見守り 私の道のすべてを知り抜いておられます。ことばが私の舌にのぼる前に なんと【主】よ あなたはそのすべてを知っておられます。あなたは前からうしろから私を取り囲み 御手を私の上に置かれました。》主よ。私たちはあなたを離れてどこに行けるでしょうか。あなたは私たちの父です。
 あなたは、呪いの中にすら飛び込んできてくださいました。なんとあなたご自身が働かれても、妨害が起こり、逆境を進まれることを知りました。災害や病が起これば、人々は神のせいだと言っています。しかしそれでも、ご自分の子たちを取り戻し、救い出すために、あなたは犠牲を払ってくださっています。そこには救いの喜びがあることを知りました。あなたが私たちをご自分の働きに招いてくださったからです。「わたしの喜びをともに喜んでくれ」と今朝も語ってくださっていることを感謝いたします。
 私たちの働きは失敗ばかりです。しかし、失敗は、もはや私たちのいのちに関わる事柄ではなくなりました。あなたは何も気にしておられません。あなたはどんな失敗も用いて、成功させてくださるからです。ただあなたに忠実であることを望んでおられます。父よ。今週も私たちをあなたの働きに遣わしてください。
 主イエス様のみ名によってお祈りいたします。アーメン。



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