今回は、聖書から「情熱」について。
礼拝賛美「ホザナ」情熱は英語ではpassionといい、もともとキリストの十字架の苦しみを表すことばであったが時を経て、熱中すること、情欲などの意味へ変わって来たそうです。
もともとは神から与えられる、神に仕えたい思いや人々を助けたいという思いの意味だったそうです。聖書の記事から様々な「情熱」の箇所を見て行くと、情熱には喜びと苦しみが伴うことを知りました。(ヘブル12:2、ヨハネ2:17、ローマ12:11、コロサイ2:23他)ダビデ、エレミヤの例。
最後に、自分はどのような人々や場所に情熱を感じるかをみんなで静思して書き出し、近くの席の人たちとそのことについて話合いました。子どもやお年寄りなどを助けたい人、ある人は地域社会へ仕事場へと、みんなそれぞれ違った対象と場があることに驚きました。(Re)
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私ことナオミは世界史が嫌いでした。当時は大阪市内の仏教系の学校に中学から通っており、世界史にどうしても興味が持てませんでした。でも、洗礼を受けてクリスチャンになり聖書を読むようになり、歴史という言葉の英語訳であるhistoryは、his storyから出来たということを知り、そのhisとは誰か?それはイエス・キリストということを教えて頂き、あ~、高校生の時、世界史の授業を受けている時に知りたかったなぁと思いました。
言葉の由来を知ることで言葉の持つ本当の意味が分かるという事があります。
話は戻り、情熱とは神から与えられる熱い思いや願いのことであるということを聖書から学びました。聖書に登場するダビデやエレミヤ、パウロが何に情熱を持ったかということを教えて頂きました。
礼拝後に、私たちが何に情熱を持っているかを考える時間を持ちました。
多くの問題とその中にある人々を助けるために、神様は私たちの中に情熱を与えられます。
皆さまも、重荷を感じて解決したいという問題について、そして、そのために何が出来るか考えてみて下さいね。(ナオミ)
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「神様は私たちに情熱を与えておられる。多くの問題とその中にいる人々を助けるために、従順に、与えられた情熱を用いよう。」(牧者のメモより)
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