2022.10.9 主日礼拝 仮庵の祭り「賜物によって生きる」レビ記23章33~43節



今は教会暦では、仮庵の祭りにあたる時期です。旧約聖書に記されている3大祭りの一つで、日本ではあまり馴染みがないですが、旧約聖書のレビ記に守るように命じられている祭り。レビ記には、仮庵の祭りでは伝道者の書を読むように定められています。今日は「聴く聖書」というアプリ(無料)からプロの読み手の素晴らしい朗読で伝道の書の2章を聴きました。続くメッセージでは、古代イスラエルの人々の満足できない心と同じ心を持つ現代に生きる私たちの姿が明らかになりました。神の言葉が強く働きかけてきます。(Re)

[礼拝説教]中尾敬一牧師
おはようございます。今日も主イエス様が十字架によって用意してくださった、ご自身の食卓に私たちを招いてくださいました。主を畏れ、また感謝して、共にこの時を喜び楽しみたいと思います。
 また今日は主の民にとって、一年の中でも特別な日です。仮庵の祭りが始まる日だからです。教会にはユダヤ人のカレンダーと中世ヨーロッパ人の教会カレンダーの2つがあります。今度やってくるクリスマスは中世の教会がイエス様のご降誕を記念するために定めた日です。一方で、この仮庵の祭りは、主がシナイ山でモーセを通して与えてくださった律法に定められている祭りです(レビ23:34-43)。特に過ぎ越しの祭、五旬節(七週の祭り)、仮庵の祭りはいくつかある祭りの中でも特別なもので、イスラエル人の成人男子はエルサレム神殿に集まって礼拝するようにと言われていました(申16:16)。それで私たちも今朝、仮庵の祭りをおぼえて、感謝と喜びの日をもっております。
 しかし、私たちはイエス様の新しい契約に生きている異邦人クリスチャンですよね。いまさら仮庵の祭りなんて気にする必要あるの?と思われる方もおられるかもしれません。これは教会の歴史の中でも度々現れてくる意見です。2世紀にはマルキオンという人が、クリスチャンの聖典は新約聖書だけだと言って、旧約聖書を破棄してしまい、真理から外れていってしまいました。新しい契約は旧い契約を破棄するのではありません。むしろ旧い契約を新しい契約が成就するのです。福音書を読みますと、「過ぎ越しの祭の時に」イエス様が十字架にかかられたことがはっきりと記されています。わざわざ「ユダヤ人の過ぎ越しの祭」であることが本文に書かれています。「五旬節」に聖霊が下ったことも、使徒の働きにはっきりと書いてあります。「五旬節の日になって」とわざわざ記しているのです。これは、イエス様から直接教えを受けた弟子たちが、イエス様がそのように旧約聖書を解き明かしておられたことを受けているということです。
 そうすると、仮庵の祭りは何と関係しているのか知りたくなりますね。ところが新約聖書には「仮庵の祭りの時に」という箇所が見当たらないのです。イエス様が仮庵の祭りについては何もおっしゃっていなかったのでしょう。過ぎ越しの祭と五旬節が、イエス様の十字架と復活、またペンテコステと関連していたことや、ゼカリヤ書(14章)に預言があることなどから、仮庵の祭りも何かと結びついている可能性は十分にありそうだと言えますが、それ以上ははっきりと言えません。色々な人が、色々な解釈をして、千年王国と関係があるとか説明したりしていますが、眉につばを付けながら、そういう考えもあるのだと思っておいてください。何と関連しているかは明らかにされていませんが、主の民はこれを守るように言われているのですから、仮庵の祭りを覚えておくことは大切なことです。
 それでは、仮庵の祭りを定めている箇所を律法から開いてみましょう。レビ記23:33-43(221ページ)【聖書朗読】
 
 仮庵の祭りは、出エジプトした民が、ペリシテ軍が支配していた海沿いの道路を避けて、荒野に入り、カナンを目指して移動していた時に、移動式の住居(テント)に住みながら生活していたことを忘れないようにする祭りです。敬虔なユダヤ人は今でも仮庵の祭りを守っています。1週間、家の外に小屋を立てて、そこで過ごしながら、荒野の40年間を思い出すのです。またこの期間に伝道者の書を読むことが習慣となっています。私たちも伝道者の書2章を共に聴かせていただきました。
 古代イスラエル人がエジプトの奴隷状態から救い出されたことは、イエス様の十字架の贖いを指し示しています。イエス様は十字架と復活が「わたしの出エジプト」であると弟子たちに教えてくださいました。ここに集まる私たちは、イエス様の十字架(出エジプト)によって救われました。そして約束の新しい天と地に向かって旅をしています。その途中にあるのは荒野の試練です。試練にあわせるなんて、主はなんと意地悪なのでしょう。いいえ、意地悪なのではありません。古代イスラエル人がカナンに着く前に荒野を通ったのは、空しいことを空しいと知るためでした。
 もう一度、伝道者の書2章に目を留めてみましょう。人生の目的とは何でしょうか。人々の哲学を色々と聞いてみますと、いろんな意見がありそうに思えますが、実はほとんどの人が「人生の目的は探すものではない。目の前にあることにひたすら取り組んでいく。それだけだ」と言っていることに気が付きます。多くの人が、人生のある時点で、人生の目的を深く考えてしまうにも関わらず、一番の解決法は深く考えすぎないようにして、今あるいは数年後に、心地よいと思えることにひたすら取り組み、暇を埋めていってしまうことだと言っているのです。このような生き方に、みなさんも心当たりがあるでしょうか。新聞やテレビ、インターネットでこの類のインタビューを受けている人は成功者たちでしょう。・公私ともに充実している人。あの人は仕事をバリバリやっているのに、業務時間内にバッチリ仕事を仕上げて、休日には家族を連れて旅行へ。あの人は鉄道が好きで、休日は電車に乗って回っている。あの人は写真を、あの人は漫画を書いてネットで有名になっているとか。仕事も趣味も家族も充実しているなぁ。・経済的に豊かな人。あの人は休みなく働いているけれど、富を築いて、豪邸を建てて、慈善活動への募金もたくさんしている。素晴らしいなぁ。・仕事に貢献している人。あの人はどんな仕事が入ってきてもいつも一番に呼ばれている。あの人はもう駄目だと思った事業を立て直した。あの人は社員から社長になった。・自己実現をしている人。あの人は会社員を辞めて、途上国に行き人びとを助けている。あの人はラーメン屋を始めて大繁盛している。_ 人々は彼らに憧れ、どのような哲学をもって人生を歩んだら彼らのようになれるのだろうかと興味津々で耳を傾けています。そして子どもたちに言うのです。「さぁ、彼らを見なさい。あなたも成功者になるように、努力しなさい。知恵をつけなさい。」
 しかし、成功者の人生には続きがあることを、私たちは心に留めていなければなりません。すべての成功を経験した、この伝道者は何と言っていますか。11節《私は自分が手がけたあらゆる事業と、そのために骨折った労苦を振り返った。見よ。すべては空しく、風を追うようなものだ。》努力して得たものは風だったと言うのです。14節《知恵のある者は頭に目があるが、愚かな者は闇の中を歩く。》知恵があれば先を見通して行動することができるという意味です。流行を逃さず、適切に投資し、確実に売り抜け、歴史に学んで失敗を避け、賢く行く先を切り開いていけるということです。《しかし》伝道者は何と言っていますか。《私は、すべての者が同じ結末に行き着くことを知った。》計算せず、目の前のことで動き、際限なく消費し、あっちでぶつかり、こっちでぶつかり、一度失敗して、また同じ事を繰り返している。そのように生きてきた人と、終始要領よく上手に生きてきた人と、結局は同じ結末に行き着くのです。どうですか。“あの人はいま”どうしていますか。
 24節《人には、食べたり飲んだりして、自分の労苦に満足を見出すことよりほかに、何も良いことがない。》人は自分が労苦した分に見合う満足をひたすら求めているのです。それで「私は人生の目的を探すよりも、目の前にあることにひたすら取り組んできました」と人々は言います。成功者たちは、ひたすら取り組んできた結果として成功があったと考えているのかもしれません。しかし、戦後の焼け野原から一億総中流社会を通り、再び格差が広がってきた現代では、成功は努力と知恵以上のものが影響していると明らかになってきました。最近ではそれを「ガチャ」と呼ぶそうです。ガチャガチャと回して、カプセルを開いてみるまで何が入っているか分からないということです。24節の続き《そのようにすることもまた、神の御手によることであると分かった。》労苦すれば、それに見合う満足が得られるとは限らないのです。しかも、労苦した分に見合う満足を見出したとしても、後を継ぐ者に残さなければなりません。後に継いだ者が労苦せずに手に入れたものの価値が分からず、台無しにしてしまうこともよくあることです。
 ある人たちは、イエス様が教えてくださった、ぶどう園の報酬の例え話が好きではありません。朝早く労働を始めた人と終わりごろに労働を始めた人が同じ報酬を受け取るなんて受け入れられない!と怒っています。労苦した分に見合う満足を求め続けてきたからです。それが彼らの人生でした。神である主は、私たちを形造り、息を吹き込んでくださったお方です。ご自分の愛する子どもたちに風を追うような人生を歩んでほしいと思われるでしょうか。ご自分の宝の民を愛しておられた主は、民を荒野へ導き、仮庵の生活をさせました。たった数週間で到着できる距離を、40年間もぐるぐると移動して回ったのです。事業を起こす?できません。自分の邸宅を建てる?できません。果樹園を作る?できません。森を潤すための池を作る?作っても移動するのですから意味がありません。多くの財宝を蓄える?財宝はむしろ負担になってしまいます。何も築き上げることができない人生。主が与えてくださる日々の糧で一日一日を歩む生活です。その中で、彼らは大切なことを学びました…と言いたいところなのですが、歴史を改ざんしてはいけませんね。古代イスラエル人は大切なことを学ぶことができず、やっぱりエジプトにいたほうが良かったと言い、神に不平を言い、モーセに逆らい、パンは飽きたから肉が欲しい、新しいリーダーを選んでエジプトに帰ろうと言い、金の子牛の像を作って頼ったのです。彼らはみな(ヨシュアとカレブを除いて)、荒野で生涯を終え、次の世代がカナンに入りました。
 古代イスラエル人の荒野での失敗は、現代の教会でも起こりえます。労苦した分に見合う満足を求めることがあると思いませんか。献金した時。奉仕をした時。礼拝式に出席した時。一生懸命お祈りした時。伝道している時。私たちは労苦した分に見合う満足を飽くことなく欲しがり続けていないでしょうか。それは麻薬のようです。労苦した分に見合う満足はしびれるのです。一度手にしたら、もっと欲しくなる。しかし、それは風を追うようなものです。仮庵の祭りの時、私たちは自らを吟味してみなければなりません。
 でも、心配しないでください。良い知らせがあります。主イエス様が来てくださったからです。イエス様は聖霊に導かれて、荒野で試練を受けられました。極限までの断食の後、サタンが誘います。「報酬のパンを求めなさい。命を求めなさい。名誉と権力を求めなさい。」労苦した分に見合う満足を求めなさいと。すべての人はこの試練に失敗してきました。しかしイエス様はただ1人、これに正しい反応をなさったのです。神である主の賜物によって生きるということです。
 かつての民はカナンに入れませんでした。次の世代が約束の地に入ったのです。しかし、主イエス様に贖われた者は新しく生まれ変わり、約束のものを手にすることができます。イエス様の十字架に私たちも死に、イエス様の復活の勝利に私たちもあずかります。私たちが歓迎するならば、聖霊なる主が私たちを作り変えてくださるので、神の賜物によって生きる歩みをすることができるようになるのです。その時、私たちはもはや日の下を歩む者ではなく、天の下を歩む者とされます。
 主が与えてくださる報酬は、気前の良い報酬です。私たちの労苦した分に見合わないほど大きく豊かな報酬です。主は民にこのように言っておられました。《あなたが入って行って所有しようとしている地は、あなたがたが出て来たエジプトの地のようではないからである。エジプトであなたは、野菜畑でするように、自分で種を蒔き、自分の力で水をやっていた。しかし、あなたがたが渡って行って所有しようとしている地は、山と谷の地であり、天からの雨で潤っている。そこは、あなたの神、【主】が求められる地で、年の初めから年の終わりまで、あなたの神、【主】が絶えずその上に目をとどめておられる地である。》主の恵みに感謝して、約束のものを待ち望みましょう。
お祈りいたします。《あなたがたは七日間、仮庵に住まなければならない。イスラエルで生まれた者はみな仮庵に住まなければならない。これは、あなたがたの後の世代が、わたしがエジプトの地からイスラエルの子らを導き出したとき、彼らを仮庵に住まわせたことを知るためである。わたしはあなたがたの神、【主】である。》
 
 天の父なる神様。気前良く豊かに与えてくださる主よ。あなたはご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださいます。私たちの日々は、いったいどれだけの天からの報酬で満たされていることでしょうか。どうか私たちの目を開き、あなたの賜物を見ることができるようにしてください。
 私たちはあなたの前に罪深く、傲慢な者です。古代イスラエル人と何か違うところがあるのでしょうか。神に不平を言い、風を追うような生活に戻りたいと言う者は、約束の地に相応しくなく、荒野で滅ぼされて然るべきなのです。しかし、それにも関わらず、あなたは私たちをあわれんでくださいました。御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つようにしてくださいました。そのために主イエス様の十字架の犠牲が必要であったのに、それを厭わず、私たちのために成し遂げてくださいました。いま、私たちの前には、天からの雨で潤っている約束の良い地が準備されています。そこに私たちの住む所が用意されているというのですから、本当にありがとうございます。
 あなたと共に歩む荒野の人生。あなたをこんなにも身近に感じられる人生を感謝します。私たちは、主と共に、また兄弟姉妹と共に、ハレルヤと歌いつつ歩みましょう。

 主イエス様のお名前によってお祈りいたします。アーメン。


藤原宮跡の満開のコスモス


 

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