礼拝賛美のときhttps://youtu.be/eV6EYb6COhk
イエスさまのたとえ話の3回目の講壇は、最も良く知られている「放蕩息子」の物語です。この物語には、2種類の神様から離れた人間が描かれていると聞きました。まず、弟息子。
父から財産の分け前を要求し、早々ともらって家を出て行った弟息子。これは神から離れた人間のすがたです。神など知らない、死んだものと見なして自分勝手なことをしている人間の姿。物語では弟は放蕩三昧の生活のはて財産を全部なくし、飢饉が起こり食べ物さえ困るようになり、そのとき、豊かな生活をしていた自分の生家に帰ろうと思い立ったのでした。そしてお父さんに謝るセリフなどを一生懸命考えます。これはこの人のかわいいところです。反省して方向転換した人の姿。
お父さんとは神様の存在です。怒らず、寛容で、わがままな弟息子を受け入れてくれました。それどころか、遠くから弟息子の姿を見付けて、走って迎えに来てくれ抱きしめたと聖書に書かれています。この箇所は、「走り出す神」という言い方で知られているようです。神様のご性質が表れていると聞きました。又、帰って来た息子のために祝宴まで催してくださるのです。それを知った兄息子がそんなお父さんの態度に嫉妬します。
そして、おとうさんに抗議するのです。
このお兄さん息子が神様から離れているもう一種類の人間の姿。
自分は正しいとして他人を裁いたり批判したりする愛のない狭い心の持ち主です。イエスさまが嫌われた当時のパリサイ人のような。
●イザヤ55の7「主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。わたしたちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。」
たとえ、まちがっても、失敗しても、悪いことをしてしまっても、悔い改めて方向転換するなら自ら近づいて、祝福してくださる神を「天の父」と呼べることはなんと幸いなことでしょうか!
弟息子のような人なら、誰でもかえっていけるのがおとうさんのところ!
小さい頃おとうさんにおんぶしてもらった時の温かい気持を思い出します。(Re)
0 件のコメント:
コメントを投稿