20190915聖日礼拝「なくなった一枚の銅貨」

礼拝賛美のとき
「なくなった一枚の銅貨」ルカ15:8~10

先週に続いてイエスさまのたとえ話から2回目の礼拝説教です。
「ドラクマ銀貨を10枚持っている女の人」とは、当時持参金にあたるドラクマ銀貨10枚を髪飾りか首飾りにして肌身離さず持っていた既婚女性のこと。その説明を聞いて結婚指輪のようなものだと分りました。特別な意味と価値があるのです。
たとえられた指輪は私たち人間、そして持ち主の女性は神様のことです。神様は私たちを大切なものとして見付けるまで捜し出してくださるお方。
闇に中に迷い込んでしまった私たちを、「明かりを付け」すなわち、見えないものを見えるようにして、「家を掃いて」すなわち、ゴミなど、覆い被さっているもの(プライド、自尊心など)をとって、「注意深く」捜してくださる愛のお方です。
ただこのたとえ話の注意点として、

「この女性のように神様は私たちを手放したり、なくしてしまうことはない。
銀貨に意志はないが、私たちに意志(選択権)がある」と牧師先生。

神に造られた作品の私たち、それぞれに個性は違うが、神様から愛され用いられている。
神様に失敗作はない。神と共に気負わず自分らしさのなかを歩んで行きたい…。(Re)

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